ベートーヴェン「荘厳ミサ」 ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管 オルゴナソーバ(S)、ラーソン(A)、ゼーリヒ(B)、トロスト(T)他風邪がぶりかえした。油断をしていたわけではなくて、この三連休もたっぷり睡眠をとっていたのだが、鼻水が止まらないなあと思っていたら発熱して撃沈。40すぎると風邪が治りにくくて困る。これがトシをとるということか。
音楽を聴いたときに受ける感銘というか、自分の感受性というもの、これもだんだんと弱くなっているようだ。ここ数年始まったことではない。いままでに聴いてきた音楽の総量は歳を経ると共に増えていくわけだから、かなりテキトーな聴き方をしてきたとはいえ、それなりに知識は増えていく。知っている曲を違う演奏で聴くのはクラシック音楽の醍醐味であるといえるが、同時に新鮮さの後退感はやはりあって、最初の頃にときおり受けた衝撃は、この頃ではあまり感じられなくなっているようだ。
けれども逆に言えば、間違って感動するということも少なくなってきている。間違っても感動すればいいじゃないかとも思うが、問題はその質だ。そのときの気分の持ち方でたまたまツボにはまってしまい、再度聴いても全然良くなくて「なんだったのだろうあれは」ということも少なくない。そういうことが近頃はないのは、感性が鈍くなった故に獲得した老人力に加えて、世間に揉まれながら育まれてきた批判力がついてきたせいだろうか。
フィルターがだんだんと厚くなってきているところをかいくぐって、たまにあらわれる感動的演奏は、昔よりも信用できるのかと言われれば、あまり自信はないのだった。
ジンマンの荘厳ミサは、ノン・ヴィヴラートを用いた快速なテンポでもって全曲を走り抜ける。
荘厳ミサといえば、クレンペラー盤の明晰でかつ響きの厚い重量級の演奏を思い出す。ベートーヴェン渾身の力作を、泣く子もだまる当代屈指のメンバーで迎え撃つといった録音であり、実際に優れたものであった。これに慣れてしまうと、なかなか他の演奏は入り込みにくい。
ジンマンの描くベートーヴェンは、クレンペラーとはだいぶ違っていて、全体にテンポをあげることによって、若々しくイキイキとしたものである。テンポを遅くする=スケールが大きくなる、という式を逆にとって、その辺の飲み屋にいそうな、少し身近な存在のベートーヴェン像がここにあらわれる。
歌手は私のしらないヒトばかりであるが、不満ない。オケの音は弾力感があって楽しい。
音楽は演奏によってこうも違って聴こえるのだということを改めて思い知らされるCDであった。
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