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イタリア四重奏団のベートーヴェン「弦楽四重奏曲第16番」

2007.07.20 - ベートーヴェン
italia

ベートーヴェン後期弦楽四重奏曲 イタリア四重奏団


ベートーヴェンの後期の作品からは、ときに20世紀風前衛音楽の匂いを感じることができるけれども、この最後の四重奏曲はそれがとても濃厚だ。
冒頭から世界が違う。
もう、なんでもありという感じ。それは、20世紀の一部の作曲家が脳漿を搾り出して生み出した露骨な物珍しさよりも、もっと奇異な感じを受ける。ソナタやロンドなどのいわゆる伝統的起承転結的な形式があたりまえだったスタイルを基礎としているところに、独自の創意を感じるからなのだと思う。

身長が10メートルの人間がいないことを考慮すると、人間には限界がある。よって、人間の作るもの、考えることの範囲は無限ではない。100メートルを5秒で走り抜ける人間が見当たらないことを考えると、音楽を聴くということについても、あるルールが必要ということになる。
時間軸の幅を持たせたら、音の組み合わせというものは無限に近いかもしれないけれど、その中で人間の生理に適うものは、ごく一部のような気がする。人間の生理の範囲内で、長い年月をかけて作られてきたものが、楽器であったり調性であったりソナタであったりするわけだ。
モンテヴェルディもバッハもハイドンも、伊達や酔狂でこういったものを編み出したわけではないだろう。
ワーグナーが無調の音楽を導き出したとはよく言われるけれども、ワーグナーの音楽そのものはごくまっとうである。どこから聴きづらくなったかといえば、個人的には12音音楽の発明あたりからである。
このへんから音楽は音楽というよりも哲学的な要素が強くなっていったがゆえに、聴きづらくなってゆく。ケージの「音楽で一番大事な要素は時間です」という言葉が決定打といえる。時間。確かに音楽は時間に取り込まれるけれども、これは哲学問答だよ。
20世紀のいわゆる前衛音楽の一部は、形式を軽んじたあまりに、なにか違うものを作っていったのだ。人間は空を飛ぶことなんかできないのに。

で、話を戻すと、ベートーヴェンは当時前衛だと言われたかもしれないが、人間生理の形式を踏み外していないところだけをとっても、まっとうな作曲家である。
形式を重んじるが、音楽はかなり自由になっていて、これは逆に言えば形式のなせるわざである。そう考えると、この最後の四重奏曲は、人間の生理に適った瀬戸際に位置するのかもしれない。
第2楽章なんて、いきなり聴くと取り付く島がない激しさに満ちている。でも全体を聴きとおすと、不思議な充実感がある。随分遠くまで来ちゃったなあと、思わず振り返りたくなるように、長いこと歩き続けたような疲労感を感じるのである。
イタリア四重奏団の演奏は、精緻な合奏力を基礎に、ときどき甘い響きを散らせる。剛健の中に華やかさがある。壊れかけたハードなこの曲に、いくぶんかのユーモアを持って取り組んでいるかのように聴こえる。

すっかり酔っ払いました。
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Comment

無題 - rudolf2006

吉田さま お早うございます

確かに、人間の脳には限りがありますね~。脳自体は大昔からほとんど変わっていないことを考えると、人間が考えることには所詮限り画あるのかもしれませんね。

ベトベンが考えたことは、きっとその後の作曲家も考えつかなかったことが多いのではないかなって思いますね。特に、カルテットの世界は、その後の音楽をすべて予感しているように思いますね~。

人間の脳には、脳のことは本当は分からないかも知れませんね~。
イタリアカルテットは、音が温かくて良いですよね、あれは、イタリアならではのものかも知れませんね~

ミ(`w´彡)
2007.07.21 Sat 09:57 URL [ Edit ]

Re:rudolf2006さん、こんにちは。 - 管理人:芳野達司

コメントありがとうございます。
子供の頃は「人間の能力は無限だ」というような教えが多かったのですが、最近になると、能力には限りがあって、やることなすこと限界が見えるということを実感します。個人的な話ではありますが(笑)。
ベートーヴェンの音楽は、どの時代の作曲家に比べても、とても革新的だったと思います。それが聴くに堪えるかどうかということが大事なことですね。
「イタリアカルテットは、音が温かくて良い」仰るとおりで、これはベートーヴェンにも当てはまると思います。
2007.07.21 18:30

無題 - bitoku

吉田さん、こんばんは。

ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲はたまーに聴きます。
内容が深過ぎて全部聴くのにパワーが要りますね。

でも何にも考えないでボーッとして聴いていると結構気持ち良いです。

>音の組み合わせというものは無限に近いかもしれないけれど、その中で人間の生理に適うものは、ごく一部のような気がする。

民族音楽や日本の古楽を聴いても現代音楽ほどの違和感はないですよね。
現代音楽はやっぱり自然でなくて無理して創っているのか、理解できない私がアホなのか分かりませんが。。。

>どこから聴きづらくなったかといえば、個人的には12音音楽の発明あたりからである。

グレン・グールドがビデオで冗談話をしていたのを思い出しました。
赤ん坊の時から世間と隔離してシェーンベルク、ベルクなどの12音技法の音楽だけ聴かせて育てたら、どんな人間になるか?
鼻歌を歌っても12音技法の音階のメロディーじゃないのと言ってグールドがそれ風に歌っていたビデオでした。

人間も経験を通して最初は難解だったものが徐々に生理的に快感になって行くものかも知れません。
でも生理的に不快感のものが快感になってしまった人はある意味、変態かも知れません。(笑)

ベートーヴェンは斬新な音楽を創りましたが、ある器の中で”人間の生理に適う”音楽なので安心するところもありますね。

イタリアSQのは聴いたことがないのですけれど、イタリア的な明るさがある演奏なら聴いて見たいですね♪
2007.07.22 Sun 01:49 URL [ Edit ]

Re:bitokuさん、こんにちは。 - 管理人:芳野達司

コメントありがとうございます。
ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲を聴くには確かにパワーが要りますね。気合を入れてもまとめてはなかなかキツイものがあります。1曲に集中して何度も聴いていると少しずつ面白さがわかってくる感じです。

民族音楽や日本の古楽、どこかで流れてきても違和感がありませんね。それに対し、20世紀の西洋音楽の一部はいまだに強烈な壁を感じます。作られてから、もう100年以上も経っているのに。これは私が日本人であることが関係しているのかどうか。

グールドの冗談話面白いですね。どうやったら12音が自然に聴こえるのか、こういった試みでもないことには難しいよということでしょうかねえ。個人的には、音楽を作ることについての新しい試みよりも、既存の音楽に対しての演奏をどうするかという、極めて保守的な嗜好になっているのが現状でありマス。
2007.07.22 11:41

無題 - 凛虞

吉田さん、こんばんは!
偶然にも数日前に吉田さんが書かれたことと似たようなことを記していました(笑)。過程は同じ、結論が異なるといった感じでしょうか…。多分…。(酔っていると仰っていますが、このエントリー、哲学書のようで幾分私には難しかったです(汗)。)
しかも、それを記したのがイタリア四重奏団による第12番を聞いてのことでした。奇遇です。
まだだいぶ先ですが、8月11日にアップとなる予定です。
2007.07.23 Mon 00:25 URL [ Edit ]

Re:凛虞さん、こんにちは。 - 管理人:芳野達司

コメントありがとうございます。
いま読み返してみると、まったくもってまとまりのない文章になっています。酔っ払っての作文はいかんですね(笑)。ようするに現代音楽はよくわからんと言いたかったわけですが。
後期の弦楽四重奏を聴くと、12音音楽を連想します。ただ、連想はしますが音楽として次の時代への関連つけはなくとも十分に素晴らしいものです。
8月11日、楽しみにしております。
2007.07.23 12:37
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