小沢茂弘監督の「日本侠客伝 刃」を観る。これは、シリーズの11作目。
この作品は、大きく2部に分かれる。前半は、風来坊であった高倉健が、ひょんなことから運送会社に就職して、義理に絡め取られて出奔するまで。
後半は、渡世人となって帰って来た高倉が、敵の政治団体と殺し合いをする。
前半の高倉健は、髪が長い。長いと言っても、サラリーマン程度のものだが。ぎこちない七三分け。不自然すぎる。どう見ても、あきらかにカツラである。それに加え、当時の東映の映画撮影は速いときで3日で1本撮った、という話を聞くと、ますますカツラ疑惑は揺るがない。なんとも、垢ぬけない髪型なのである。
その反動もあるが、後半の高倉はカッコいい。もちろん、髪型は角刈。バッタバッタと敵を皆殺し。助っ人に池辺良が出ているところは、昭和残侠伝の写しだろう。あまり大きな違いはない。
でもよく出来ている。高倉を含め、悪役含めて脇は揃っているし、演出もいい。
ポリーニが弾くベートーヴェンのピアノ・ソナタ32番を聴く。
録音当時、ポリーニは35歳。ベートーヴェンの最後のソナタを弾くにしては若いが、もっと若くして弾いたグールドなんて人もいるから、異例というほどのものじゃない。ただ、当時のポリーニがショパンや近代音楽で右に出るものがいないほどの人気を誇ったことを考えると、この企画は彼にとってなかなか大変な事業だったのじゃないかと想像する。下手をすれば評価は一気に下がる恐れがあるのだから。
結果的には、それは杞憂だった。一部の識者ら(五味康祐や宇野功芳)が批判するいっぽうで、全体的にはこの演奏は世間に受け入れられた。ただ、それは当時の雰囲気がそうさせるというところがあるから、発売から35年以上たったいま、改めて聴き直すことは、そう無意味なことではないだろう。
1楽章はなめらか。いかにも晩年のベートーヴェン、といったゴツい音楽であるが、ポリーニは畏敬を払いながらも淡々と弾く。そこには新しさは見当たらないが、音楽への一途な取り組みを感じさせないではいられない。真面目である。
2楽章において、この演奏の特色が浮かび上がる。残響の多い録音は、音色の不足を補うかのように思え、いささか不自然な感がある。レコード会社の老婆心というものか。それを差し引いて聴くと、まっとうである。ピッチャーで言えば、ストレート一本で押す剛球投手。一見柔らかな音であるから軟投みたいに感じられるが、テンポや強弱の変化は少ない。そして姿勢がいい。すっと伸びた背骨にハッとするほど、端正な佇まい。気持ちがいいものだ。
聴いているこちらは、いつのまにかポリーニの齢をとうに超えてしまった。前に書いたが、録音の甘さが、この演奏を曲解させるのだと思う。ゼルキンやリヒテル、あるいはグールドのような偉大な、あるいは霊感的なピアノではないものの、秀才青年が思いのたけをぶつけたボールも悪くないと思う。
1977年1月、ウイーン、楽友教会大ホールでの録音。
おでんとツイッターやってます!青森の山奥へ。
PR