イツァーク・パールマン(Vn) ウラディーミル・アシュケナージ(Pf)土屋賢二の「妻と罰」を読む。
本書においても、いつもの「自虐的」的ネタが炸裂。次から次とわき出るジョークの中に、世間への素朴な疑問がチクリと効いている。
「子どものころ、理解できないことが多かったが、とくに不可解だったのは、『国の所有』『国が没収する』『国を訴える』など、国(市町村、県、会社なども同様)を、あたかも人間であるかのように扱う語り方だった。『国』とか『会社』って何だ? 食べたり遊んだりすることができないものをなぜ人間扱いできるのか理解できなかった。
長年の研究の結果分かったことは、依然として理解できないということだった」。
同感。「会社側」の会社って、なんだろうな。
ツチヤ教授、今年の春にお茶の水女子大の教授を退官し、現在は同大学の名誉教授であるらしい。これからは悠々自適の生活になるのだろうか、オモシロエッセイをさらに書いていってほしいものだ。
パールマンとアシュケナージのコンビもいまや懐かしい。今月に来日したパールマンは録音はめっきり少なくなったし、アシュケナージは指揮者の活動のほうが多くなってしまった。
まだまだ若いと思っていたパールマンは今年で65歳。ヴァイオリンを弾くことはそもそも体力勝負であるし、下半身が不自由というハンデもあることから、昔のようにコンビを再結成する可能性は少ないのだろうな。
ふたりによる「クロイツェル」は前から好んで聴いていた演奏。今聴いても演奏・録音ともにまったく色褪せない。
パールマンのヴァイオリンは、太くて澄んでいて伸びがある。彼のヴァイオリンは、曲によっては松脂くさいところがあって、それがパールマンの音の特徴でもあるのだが、ここでは凪いだ海のようになめらかだ。なかでは、美音をおしげもなく振りまく2楽章が不思議に魅力的な演奏。事件性のない平穏な時間がまったりと進行する。ただ、ヴァイオリンの音に酔うのみ。
アシュケナージのピアノは相変わらず柔らかく、ひとつひとつが粒立っている。こころもち感じる粘りけが、パールマンの厚みのあるヴァイオリンと相俟って、重量感のバランスが絶妙。
この演奏からは、トルストイがインスパイアされた悪魔的なものはあまり感じられない。高度な技を駆使した、おおらかで健康的なものだ。
1974年6月、ロンドンでの録音。
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