ベルク ヴァイオリン協奏曲 シェルツァー(Vn) ケーゲル指揮ドレスデン・フィル城山三郎の「無所属の時間で生きる」を読む。
1篇5ページ程度からなるエッセイである。
ここで言っている無所属とは、自分がどこにも属していない自由業であることを指している。
保証のない不安感や、自分で自分をコントロールする厳しさはあるものの、サラリーマンから見ると楽しそうでならない。
著者自身もこういっている。
「通勤苦ひとつとってみても、組織の中で生きることは、たいいへんなことである」。
「ときには、やりたくない仕事をやらされ、好きな仕事には就けぬ。顔も見たくない上司に仕え、蹴飛ばしたい思いのする部下にも耐えねばならぬ」。
その通りで、安定した収入を得るためとはいえ、勤め人はたいへんだ。
だから自由業がいいかといえば、そりゃある程度成功すればいいのかもしれないが、それまでがたいへんそうだ。
はたからみると椎名誠なんて、年がら年中無人島やら砂漠やら出かけて焚き火して酒を呑んで、実にたのしそうなのでうらやましいったらありゃしないが、それをネタにあれだけの本を書くことは、まねしようと思ってもできることじゃないだろう。
宮仕えの身としては、せめて竹之内豊よろしく晩酌にぜいたくなビールだな。
さて、ベルク。
冒頭のから音がキーンと冴えていて、空気が張り詰める。冷たい湿り気があって体感温度が下がるようだ。
ドレスデン・フィルは、技術的にうまいという印象はないのだが、深夜の冷気のようなひややかで湿度のある肌触りに特徴がある。
といってもこのオケ、この指揮者以外の演奏できいたことがないので、これはオケの特性というより指揮者のやりかたなのかもしれない。どちらなのかちょっと判断しがたい。
ケーゲルの切り込みの深さは際立っている。かゆいところに手が届くというか、はっきりと聴きたい音が鮮明に浮き彫りにされていて気持ちがいい。
1楽章において、独奏のヴァイオリンにまとわりつく木管楽器のやるせない音、トランペットの寂しげな音など、じつに味わい深い。
2楽章の腹に響く大太鼓の重音、ぴったりと合わせられたピチカートなど、登場する楽器がことごとく際立っていてとても明瞭だ。
シェルツァーのヴァイオリンは、ヤニくさいところがなくスマートであり、そのぶん線は細い。
協奏曲ならばもうすこしでしゃばってもいいくらいだとも思うが、硬質な響きがオケの色彩とうまく溶け合っている。
1980年、ドレスデンでの録音。
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