ヘンデル「メサイア」 ショルティ指揮シカゴ饗・合唱団ポール・ニューマンが逝去した。
昔の作品はまだ観ていないけど、「明日に向かって撃て」あたりから以降の作品はわりと観ていたのじゃないかという気がする。
粋でとぼけた味わいのある「スティング」や、あまりおいしい役どころではなかった「タワーリング・インフェルノ」、怒涛の感動まっしぐらの「ノーバディーズ・フール」、板についた悪役が魅力だった「ロード・トゥ・パーディション」などが印象的だ。
いつまでも若いと思っていても、もう83歳だったのだ。
70歳かそこらでカーレースに参加したという記事を、ついこないだ読んだ気がする。こちらもトシをとるわけだ。
いろいろ楽しませてくれて感謝。
ショルティの「メサイア」、立ち上がりがあまりよくない。弦はつんのめりがちで合奏の荒いところが散見されるし、バスのグウィン・ハウエルも音程が安定しない。
呼吸が浅いためにせっかちなところがあって、落ち着きがない。
一時は「おいおいショルティ、だいじょうぶか!」と心配したけれど、聴き進んで10分くらいたってくると、だんだんピシッとしまってくる。
エンジンが温まりだすと、もう止まらない。
安定感がどんどん増してきて、それはもう揺るぎのない堅固なものになる。
まず、ヴァイオリンがすばらしい。水がしたたるような清冽さと、まばゆい輝かしさがある。
それから合唱。緻密さではちょっと類がないかもしれない。細心な準備をもって入念に磨き上げられている。
それは同時に、奥行きや重厚さも兼ね備えており、それは全曲中の白眉のひとつ「そしてレビの子孫を清め」で全開になる。「ひとりのみどりごがわれわれのために生まれた」における慎重さと力強さは感動的である。
弦を中心としたオケと音色がじつによくあっているのは、専属の合唱団だからなのかもしれないがそれにしてもすばらしい溶け具合。このオケあっての、あるいはこの合唱団あっての演奏だ。
ショルティの意志の強さもさることながら、合唱指揮のマーガレット・ヒリスの手腕によるところも大きいとみた。
歌手は、キリ・テ・カナワを除いては、あまりこの管弦楽・合唱に溶け込んだ音色ではないように思う。
ハウエルのバスは恰幅がよく美声だし、アンヌ・ゲヴァングのアルトはたっぷりした声が豪華だし、テノールのキース・ルイスは悲しみを漂わせながら輝かしい声を放っているが、それぞれ魅力的でありながら、ちょっと浮いた感じがする。キレのいいオケ・合唱とは、少し毛色が異なるように思われるのだ。
その中で、カナワの歌は清楚でリリカルでありながら、ほどよく引き締まっていて、うまく全体に溶け込んでいる。ソロとしても個性的で、かつアンサンブルとしても優れた歌唱である。
音楽は、第2部から徐々に内省的になってゆくが、「ハレルヤ」からまた賑やかになってくる。
ここでショルティはティンパニをドカドカ鳴らしているが、自然に全体が盛り上がってゆく感じなので、浮いた感じではなくとても効果的になっている。かなりパワフルな演奏だけど全体を通してつじつまがあうというか、うまく流れに乗ったもの。当時の国王はこの部分を聴いて思わず立ち上がったというが、それはこういう演奏だったのだろうと夢想する。
このあたりから、シカゴのパワーが炸裂してくる。
「ラッパが響いて、死は朽ちない者によみがえらされ」のトランペットは強烈。華やかな黄金色の音楽であり、圧倒的な高揚感をもたらされる。これはハーセスの名人芸。
終曲「その血によって、神のために、ほふられた子羊こそは」では、トランペットとティンパニが華々しく打ち上げられてすごく盛り上がる。単純にして精密なフーガによって壮大に曲が閉じられる。
CDのオビによれば、これはヘンデルの生誕300年のために満を持した録音であり、版の決定には30歳年下のホグウッドにアドバイスを求めたとある。結果、トービン校訂版を採用している。
確かにメモリアルにふさわしい充実の演奏だ。
1984年10月、シカゴでの録音。
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