ブルックナー 交響曲8番 レーグナー指揮 ベルリン放送管弦楽団福田和也の「東京の流儀」を読む。
散歩っていうのは逃避なんだと著者はいう。考え事をするとか街を知るとかいうのは言い訳であって、空調のきいた部屋のある今、あえて家から出る必要はない。考えことは家ですればいい。だから散歩は逃避なのだと。
言われてみれば私も毎週末に散歩をする。珈琲やビールを飲んだり本を読むのは家でだってできるわけだ。で、なんのために散歩をするかというと、家にいても手持無沙汰だから、ということになる。
著者の散歩道は多岐に渡る。神田の蕎麦屋、御徒町のトンカツ屋、日本橋のカレー屋から、皇室御用達のメガネ屋まで。
なかでも面白かったのは銀座の「米倉」というと床屋のエピソード。ここは日本の最高峰だという。著者は40歳を過ぎたから、そろそろ行ってもいいかしらと思い、足を運ぶ。すると店内にはデュプレの弾くドボルザークが流れている。「ちょっと床屋には重いんですけどね」とは店主。あるとき小澤征爾の話になったとき、彼は嘆く。「あの頭、日本の床屋として恥ずかしい」。
床屋としての自負が垣間見られる。
ハインツ・レーグナーの指揮でブルックナーの交響曲8番を聴く。
これは不思議な味わいのある演奏。重くなく、かといって軽いわけでもない。音色は総じて明るいが、ノーテンキではない。テンポは全体的に速く、ことに2楽章はだいぶ速いが、セカセカした感じはなく、聴いているうちに馴染んでくる。
この演奏においての主役はヴァイオリンだ。光り輝く音色でもって、全体をリードしている。なかでも2楽章のキザミは圧巻で、この曲でこんなに煌めく音を聴けるとは思わなかったくらい。3楽章では荘重な、それでいて明るい響きを聴かせる。ここでも輝かしい弦の色調がきいていて、風格を醸し出している。
真夏の日差しがたっぷり充満した大聖堂のような、そんな趣き。
HMVのレビューはあまり芳しくないが、異論を唱えたい。これは、聴きどころがふんだんにあるユニークな演奏である。
1985年6-7月、ベルリン放送局大ホールでの録音。
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