内田樹、鷲田清一の「大人のいない国」を読む。
鷲田清一の著作は難解というか、どうも肌に合わないと思っていたが、この作品はわかりやすい。
ことに内田との対談の部分は、むしろ内田よりもしっくりと頭に入ってくる。
小津安二郎の映画「彼岸花」に関する対話が面白い。
佐分利信が冒頭で結婚式の祝辞を述べるのだが、定型句だけで綴られたセリフがとてもいいと言う。
結婚式のスピーチというと、どうしてもウィットときかせようとか笑いをとろうとか考えてしまうものだ。
でも考えてみたら、葬式のときはそうしない。ひねった文句をあまり考えようとはしないものだ。
結婚式もそれと同じで、「定型的な祝辞と淡々と言って、それでも行間から万感が滲んでくる」ものが理想だと、両者は言っている。
なるほどである。
佐分利信ならではだろう。
そういう芸を身に付けられるのは、いつになることやら。
サイモン・ラトルの指揮によるブルックナーの交響曲第9番を聴く。
これは4楽章付きの補筆完成版である。
この最終楽章は、ブルックナーが人生最後の日までかかった作った草稿に基づいて再編されている。
散逸を免れたスケッチや草稿をオーレルが1934年に出版したのが始まりとされ、以降キャラガンによる1984年の完成版、2003年、2006年、2010年に渡るその改訂、さらにサマーレとマッツーカ、後で加わったコールスとフィリップスの共同作業により継続的に改訂が進められた。その最新ヴァージョンがこの演奏で採択されている。
草稿はあまりに散逸していたため、オーケストレーションは、楽章全体のおよそ3分の2を編者によって補っている。
さて、演奏はラトルらしく細かなテンポと強弱の変化をつけた、口当たりのよいもの。だが、この音楽の威容を損なうものではない。1楽章ではキレのあるトランペットが印象的。
2楽章は重厚。腹にズシンと響く低音の力強さは、カラヤン時代のこのオケを思いおこさせる。
3楽章も低弦を基調としてズッシリとした重量感がある。ヴァイオリンのなめらかな合奏は、耳に心地よいばかりではなく、心にツンと沁み渡る。節度のある金管群が泣かせる。フルートとオーボエの掛け合いは美しすぎて、浮世離れした風情が漂う。全体的に、各パートのバランスが素晴らしくよい。
問題の4楽章。響きはまさにブルックナー。この作曲家以外のなにものでもない。ブラインドで聴いてもわかるだろう。よく練り上げたものだ。
その響きに、後期のエッセンスをひと匙。それがこの音楽。ただ、8番の終楽章を期待してはいけない。
現段階ではこれ、贔屓目に言っても名曲とは言い難いが、この版に対する取り組みはまだ続いているとのことらしい。今後化ける可能性はあるかもしれない。期待したい。
サイモン・ラトル指揮
ベルリン・フィル
2012年2月、ベルリン、フィルハーモニーでのライヴ録音。
キングスパークのユーカリ。
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