フルトヴェングラー指揮ウイーン・フィルのブラームスマリンピア松島水族館。
水族館なら雨でも大丈夫。
天気の良し悪しを度外視しても、ここは楽しめた。
海にもいろいろな生き物がいることを、思い出した。
このヒトたちはなにを考えて生きているのか不思議。
大きなお世話だけど。
ヒトデと、岩に同化している蛸。
壺になかよく並ぶアナゴ。
カメ。
マンボウ。「海ののんき者」と書いてあった。本人は必死なのかもしれない。
イソギンチャクと、友達の魚(名前を忘れた)。
フグの横顔。
後ろに立っている魚(これも名前を忘れた)と、その下にひっそりとカブトガニ。
なんとかペンギン ←名前覚えろって。
塩ラーメン。
これが意外にいけた。外で食べるから余計においしく感じるのかもしれない。
年に何回か、フルトヴェングラーを無性に聴きたくなることがある。私の場合、ショルティもそうで、やはり同じようなサイクルで聴きたくなることがあるのだ。
フルトヴェングラーとショルティ。まったく異なる芸風であるが、音楽に対しての情熱はふたりともとてもラディカル。そういうところが、私にとって憧れなのだ。
そのフルトヴェングラー、今回はブラームスの1番を聴く。
冒頭からぐいぐいと推進する指揮棒に迷いは見当たらない。深くたっぷりとした呼吸は表情豊か。
強いところはとことん強く、弱いところはききとれないほど。当時の録音はこの抑揚を捉えきれていないに違いないが、その迫力の一端を感じるだけで、血が沸き立つよう。
アンサンブルの精度は低いが、音楽に勢いがあるので、合奏力の完成度の低ささえも解釈なのかと思わされる。アンサンブルの乱れも、計算に含まれているのだろう。
終楽章のコーダのパワーは、後年のベームの日本公演を想起させる、ド迫力もの。
それでも全体的には、フルトヴェングラーとしてはおとなしい演奏ではないかという気がしてしまう。そう思うのは、この指揮者に常に過剰な期待をするからなのだ。
1952年1月27日、ウイーンでの録音
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