フルトヴェングラー指揮ウイーン・フィルのブラームス司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読む。
これは、日露戦争前夜から戦争終結に至るまでの軍人の生き方を描いた長編小説。
秋山好古・真之兄弟を軸に、正岡子規や東郷平八郎、乃木希典や児玉源太郎といった人物が描かれる。
半年もかけて全部読んだ後では懐かしいほど前の出来事になるが、戦争に入る前の秋山真之と実兄の好古、そして正岡子規との交流が非常に印象的。飯代わりに酒をくらっていた豪放磊落な好古。
歌で身を立てるつもりだったが、軍人になりたくてしかたがなかった子規。明治の厳しくも牧歌的な人情が描かれていて味わい深い。
子規が死んだ後は、長い長い戦争シーンが続く。海戦と陸戦が交互に登場するが、ことに二百三高地と奉天における陸戦の痛々しさは読んでいて気分が悪くなるほどだ。何人もの人が死んで死んで死にまくる。
この本では、乃木希典が無能な人物として書かれている。実際にもそうだったのかもしれない。人格的には優れているが、戦術的には凡庸であるため、二百三高地で無策をさらけだし、多数の死者を出したとある。
いたたまれずに出動した児玉は、周囲の反対を押し切って大砲を持ち込み、これが見事に功を奏し、敵を木っ端微塵にし、さらには停泊中の戦艦をも沈める。ここは全編のクライマックスのひとつだが、それまでの犠牲があまりにも多く、重苦しい空気を断ち切ることはできない。
一方で、ロシアの戦艦群がアフリカ大陸を南下するルートで日本に迫る。世界を半周する歴史的大移動。
途中で発狂する兵隊は多数、石炭の供給もままならない。ほうほうのていで対馬海峡にたどりつくも、東郷率いる連合艦隊の巧みな作戦により、全滅する。
後日談は、主役の4人についてのみ、ごく簡単に書かれている。連合艦隊の参謀だった真之は、日本海海戦の快勝を人知を超えた何かが要因であると考え、戦後は軍人を辞めて宗教的思索にふけったという。
この日本の勝利は、当時ロシアにいじめられていたトルコ、ポーランドの圧倒的支持を得て、さらには帝国主義国に抑圧されていた東南アジア諸国からも、敏感ではなかったものの、影響を与えたという。
さらに言えば、ロシア革命を推進した大きな事件であった。
全体を通して、全編中のうしろ三分のニの戦場シーンは重苦しく痛切である。戦争は、たとえ勝ったとしても、人が死にすぎる。
技術的解説とウンチクが多いために、安易に読む進むことは難儀であったが、作者の取材量に圧倒されないではいられない力作であるとしかいいようがない。
ALTISのフルトヴェングラーを聴く。1952年のライヴだ。
オール・ブラームスで、ハイドン変奏曲と二重協奏曲、それに交響曲第1番。すごいプログラムだ。
力うどんとうな重とカツカレーが並んだ食卓のよう。胃もたれしそうなヘビー・メニュー。
この二枚組みCDには、この夜に演奏された演目が全て収録されているが、今日は1曲目の「ハイドン変奏曲」を聴く。
冒頭からゆったりしたテンポがいい。悠揚迫らざる雰囲気に満ちている。なんというか、安心して身をまかせられるテンポなのだ。
進んでゆくごとに音楽はさまざまな変化をみせてくるが、ここぞというときのフォルテッシモの強さは強烈で、まるで親のカタキを討つような気力がみなぎっている。当然ながらモノラルの録音はそれをじゅうぶんに捉えることができていないけれど、音のひずみが迫力に輪をかけている。
全曲を通して目立つのは、スカスカしたフルートの音。この音が常に周囲の楽器よりひとまわりかふたまわり音量が大きい。
この時代のライヴ録音だから、音量の編集ではなくて、実際にこうした音だったのだろう。
不思議な存在感がある。
1952年1月27日、ウイーンでの録音
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