バルトーク 管弦楽曲集 アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団河合隼雄と谷川浩司の「『あるがまま』を受け入れる技術」を読む。
なんだか仕事のモチベーションがあがらない。
本をいろいろと漁っているが、これぞ、というものがなかなか見当たらない。
この本の目次をパラパラとめくってみて、面白そうなので買ってみたが、河合のこういう考えも、なんだか聞いたことがあるようなないような。
「レストランに行っておいしいものを食べるとか、旅行に行くとか、そういったすぐ実現可能な望みしか頭にないでしょう。もっと違うスケールで夢を持てないと、無気力から抜け出すことは難しいでしょうね。今では若い人たちだけではなく、あらゆる年代の人たちがそういう状態に陥っているんじゃないでしょうか」
高度経済成長のときの若者は、がんばればどんどん世の中はよくなっていくということが信じられていたし、実際に経済的に成長していったが、今の閉塞した世の中だと何を目指していいか難しい。
なかなか答えが出ないのだ。
アンセルメのバルトーク。
「管弦楽のための協奏曲」を聴くとき、クラシック音楽を聴き始めた頃を思い出す。
当時は毎年、音楽の友社のレコードアカデミー賞を気にしていた。受賞作イコールいいレコードと思い込んでいて、年末近くになると、受賞作品を予想することが楽しみだったものだ。
その頃、「春の祭典」とともに一時期毎年のように管弦楽部門で受賞していたのがバルトークのオケコンだった。ほとんど春の祭典とこの曲が独占したいたような気がする。管弦楽では、ほかに何の曲があったかな。思い出せない。
80年代初頭は、バルトークとストラビンスキーのメモリアルイヤーが続いたからということもあるのだろう。
記憶によれば、「オケコン」は立て続けに3回アカデミー賞を取っている。
オーマンディとフィラデルフィア、ショルティとシカゴ、それにドラティとコンセルトヘボウである。
どれもお国もの、しかも最高級のオーケストラビルダーである指揮者と名人オーケストラとの組み合わせだから、今から思えばその完成度の高さは容易に予想できる。だけど当時は新鮮なのだった。
今聴いてみると、華があるというかきらびやかというか、すごい演奏だ。オーマンディは少し遊び心があるものの、ショルティとドラティのは、大の大人が額に青筋立てて、邪魔ものを力づくでねじ伏せるような力技をみせる。それがまた水も漏らさぬものだから、ぐうの音もでない。ともかく大変な大演奏だが、こういうものは聴く側にも体力がいるので、今はそんなにしょっちゅうは聴かない。
前置きが長くなったが、アンセルメのバルトークは、彼らとは一線を画する。
節の切り方が短くてアッサリしているところはハンガリーコンビに似ているものの、仕上がりは全然違う。
ハンガリーコンビが高層ビルとすればアンセルメは繊細な木造建築。
ひとつひとつの音に木のような暖かみがあって、生き物のようにわさわさとうごめいている。
感覚が鋭敏な感じはブーレーズを思わせるが、色合いはカラっと明るくてほんのりあったかい。すみずみまで手作りの細やかさを感じる。
4楽章のトロンボーンのグリッサンドや、大ラスのリタルダンドは実にユニーク。こういうものを聴くと、アンセルメは19世紀生まれの指揮者なのだなあと、改めて気がつく。
ハイテク演奏に一矢を報いるような、味わい多彩な演奏である。
1956年10月、ジュネーヴ、ヴィクトリア・ホールでの録音。
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