バッハ「ゴルトベルク変奏曲」 マレイ・ペライア(Pf)「ゴルトベルク」のピアノ演奏では、グールドの新旧版が最も有名だし、しかも優れている。
これは世間では長年揺るぎないものであると同時に、実際に私もグールドの演奏を、どれほど楽しんだかわからない。
ピアノの演奏では、いや、チェンバロを含めても、「ゴルトベルク」の最高峰はグールドであるといっても過言ではないだろう。
ひとつの曲に、そういう演奏があると、その曲に挑む演奏家は、かなりプレッシャーなのではないかと思う。どう演奏したって、その演奏家と比べられてしまうのだから。
逆に、そのほうがいい緊張感を生むことも考えられる。演奏を比較されることで自分のスタイルが浮き彫りにされるからだ。
福永陽一郎は、レコードの時代を「演奏の時代」と言ったけれども、自宅に居ながらにしてひとつの曲の、さまざまな演奏を聴き比べられるということは、音楽の聴き方の革命というか、聴き方のひとつの方向性を決定づけたものなのだと思う。
などと大風呂敷を広げてみたが、なんのことはない、演奏を聴き比べるということは、単に楽しいからなのだ。
ペライアが「ゴルトベルク」を録音するにあたって、グールドを意識していないわけはないだろう。
時代は違えど同じレーベルだし。
彼の演奏は、グールドに比べると、ずっと柔らかい。装飾音のつけかたはグールドより多くて、音と音との繋ぎはとてもなめらか。
ピアノという楽器の現代的というか機能的な側面をじゅうぶんに発揮させた、重厚で色彩的な演奏になっている。
繰り返しを行っているため、全曲で70分を超える。一曲で一晩のプログラムをこなせるだろう。これがCD1枚なのだからおトク感はある。
でもそれ以上に、やっぱり、現代楽器での壮麗な音の濃厚さというものが、この演奏においての特長だろう。
全体を聴いて、長さを感じるのは、繰り返しの多さだけではなくて、ひとつひとつの変奏が、わりと無変化に単調に聴こえるからかもしれない。それは、あくまでグールドに比べれば、ということなのだけれど。
2000年7月、スイスでの録音。
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