宮部みゆきの「さよなら、キリハラさん」を読む。
家にいると、いきなり音が消えた。テレビの音も相手が話す声も聴こえない。これは私だけかと思いしばらく隠していたが、家族全員がそうであることに気づく。音はずっと消えているわけではなく、家にいるときの、ある時間帯に限られる。
そんななか、自らを宇宙人と名乗る訪問者があらわれる。彼が語るに、音が聴こえなくなるのは、宇宙で電波を管理している役所が、地球の音が大きすぎるためにコントロールしているのだという。
混乱する家族を置いて、宇宙人はタクシーで立ち去る。
種明かしは明快だが、少し無理があるように思う。ただ、面白かったから文句はない。父親が大企業に勤めていることがキーになっている。
オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団の演奏で、チャイコフスキーの「エフゲニ・オネーギン」から「ワルツ」と「ポロネーズ」を聴く。
このCDには他にヴァイオリン協奏曲とピアノ協奏曲3番が含まれている。いづれも、ソリストを知らないまま聴いた。
前者はヴァイオリンの音が雑で汚いので、まるでスターンみたいだなと思ったが、果たしてスターンだった。小林秀雄には、勧められない。
いっぽう、ピアノのグラフマンは悪くない。ただ、曲がいまひとつ。未完成の作品だから仕方ないとも感じるが、晩年のチャイコフスキーにしてはいささか一本調子に思える。シンバルが多いし。嫌いではないが、やや食い足りない。
むしろこのディスクでは、管弦楽の小品がめっぽういい。
どちらも、とても品がいい。
チャイコフスキーは西欧に憧れていたという話は、いろいろな本や雑誌に書かれている。実際に作風を鑑みても、同時代のボロディンやR・コルサコフなどに比べると、西欧風にスマートだ。ボロディンが下品というわけではないけれど。
チャイコフスキーのそうした志向の極北にあるのが、3つのバレエ曲だと思うが、この2曲もいい。どちらも舞曲だからバレエ音楽といえばそうだ。
オーマンディのオーケストラはたっぷりとした色彩感が溢れ、肉感的。チェロのポルタメントはこってりと甘く、おいしい。
チャイコフスキーが憧れ続けた華やかな世界が、短い曲のなかに凝縮されていて素晴らしい。
1965年1月、フィラデルフィア、タウン・ホールでの録音。
おでんとツイッターやってます!冬の山並み。
PR