ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮フィラデルフィア管弦楽団吉田篤弘の「つむじ風食堂の夜」を読む。
この小説には、これといった事件は発生しない。世間のどこにでもころがっていそうな日常生活の些細な出来事が、「食堂」を舞台の中心に、ささやかに描かれている。登場人物のセリフがいちいちシャレている。この小説は映画化もされていて、そちらのほうは観ていないが、脚本に特段手を入れなくても、気の効いた台本になりそうなセリフである。
とはいえ、気の効いたセリフはあるものの、ストーリーが薄いために、読み終わった瞬間に内容を忘れ去ってしまう。
それはこの本の問題というよりも、ワタシの老人力のなせる技なのだろうな。
サヴァリッシュの「白鳥」は前から気になっていたCDで、rudolf2006さんの記事に後押しされて購入。
この曲を普段はフィストラーリの爆裂演奏で聴いているので、サヴァリッシュ盤を最初に聴いたときは少し重たい感じを受けたが、何度も聴いてゆくうちにじわじわとボディーブローみたいに効いてくる演奏だ。
テンポは全体的に中くらいかやや遅め。足を挫いてしまいそうなフィストラーリと違って、こちらのほうは踊りやすいのじゃないだろうか。
サヴァリッシュは、まるでブラームスを演奏するような姿勢でチャイコフスキーのバレエ曲を指揮しているようだ。華やかさやリズム感を浮き立たせることよりも、音楽の構造の展開に着目し、短い曲のひとつひとつを有機的に紡ぎあげてひとつの交響曲のようなまとまりを目指しているよう。ことに、3幕からの推進力は目覚ましい。
この演奏を聴くと、やっぱりこの音楽は、管弦楽という形式を用いたひとつの究極の音楽であることもまた感じさせる。
内容の充実さを考慮すると、大家とされているベルリオーズやR・コルサコフ、それからドビュッシーやストラヴィンスキーと比べても、上をゆくものではないかと改めて思うのだ。近代音楽300年のなかで、単体の音楽で2時間を超える長さをオーケストラだけで支える演目は、他に見当たらないからだ。
また演奏については、オーマンディやムーティのハイライト版、そしてこのサヴァリッシュの全曲と聴いてみると、チャイコフスキーのバレエ音楽においてのスタンダードはフィラデルフィア管弦楽団にとどめをさすようだ。後に続くのは、コンセルトヘボウ(フィストラーリ、ドラティ)とロンドン響(プレヴィン)、ちょっと後ろにセントルイス響(スラトキン)といったところか。
1993-94年、フィラデルフィア、フェアマウント・パーク、メモリアル・ホールでの録音。
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サヴァリッシュの指揮そのものは実にまっとうというか堅実なもので、派手なところやけれん味はなくで、ひたすらオーケストラの魅力を引き出した指揮ぶりという感じがします。
サヴァリッシュがチャイコのバレエをやるのは珍しいことから、これは周囲の意見に従って実現した録音じゃないかとにらんでいます。フィラデルフィアはなんといってもチャイコフスキーのバレエ音楽の大家です。これをやらずしてこのオケの監督はなかなか務まらない!?