内田百閒の「第一阿房列車」を読む。これは、鉄道旅行の紀行文。
時は戦後。金もないのに旅に出ることを思い立ち、借金をする。で、借金についての講釈を述べている。
「友人に金を貸すと、金も友達も失うと云う箴言なぞは、下手がお金をいじくった時の戒めに過ぎない。一番いけないのは、必要なお金を借りようとすることである。借りられなければ困るし、貸さなければ腹が立つ」。
だから、遊びの金ならば借りることは本筋だと、威張っている。不思議な人である。
また文章も不思議だ。苦労してチケットを買い求めたはいいが、せっかくの列車に乗ったのに、たいして面白そうではない。旅館に着いたら着いたで、飯がうまくないの、女中が気に入らないとぼやいているし、海辺を歩けば風が強くて面白くない、などと小言ばかり言っている。
なのにフットワークはいい。弟子(?)の「ヒマラヤ山系」を引き連れて、大阪、御殿場、博多、鹿児島、福島、青森、秋田、山形と走り回る。
理屈ばかりこねている偏屈じいさんだが、文章になんとも言えない長閑な味わいがある。
このシリーズ、三巻まであるとのことなので、次が楽しみだ。
キーシンのピアノで、ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」からの3楽章を聴く。
ストラヴィンスキーに「ペトルーシュカ」のピアノ編曲を依頼したのは、アルトゥール・ルービンシュタイン。その以前に、ストラヴィンスキーはこのピアニストに「ピアノ・ラグ・ミュージック」を献呈したが、ピアニストの気に入らず、演奏してもらえなかった。ストラヴィンスキーは編曲に懐疑的だった。
だが、ルービンシュタインが「ペトルーシュカ」の一部をストラヴィンスキーに聴かせ、作曲家を納得させたとのこと。
キーシンのピアノは切れ味抜群で劇的。
どこを叩いても揺るがないテクニックの安定感、まろやかで輝かしい真珠のような音、糊のきいた上等の浴衣のようにパリッとしたリズム。それらの中から、淡い詩情が随所に感じられる。
いささか乱暴に言ってしまうと、これは上品なホロヴィッツ。技術的にはおそらく遜色ないものの、いたずらに技術的な効果は見せびらかさない。このスマートさがキーシン流。
ホロヴィッツも好きだけどね。
2004年8月、フライブルク、SWR南西ドイツ放送局スタジオでの録音。
海辺。
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