ガブリエル・アクセル監督の「バベットの晩餐会」を観る。
舞台は、19世紀初頭のデンマークの小さな村。牧師と彼の美しい姉妹マーチーネとフィリパが暮している。禁欲的な家族であるが、姉妹それぞれひそかな恋愛をする。
二女が恋した相手は、イタリアの有名なオペラ歌手であった。彼はあるとき、フランス革命で国を失ったある女をよこす。彼女は、バベットという。彼女は、給料はいらないから置いてくれと嘆願し、姉妹は受け入れる。
十数年後。牧師の生誕100年が訪れた。宝くじに当たったバベットは、その記念の晩餐会の料理を自分に任せてくれと、姉妹にお願いする。
海亀のスープやウズラのパイ。そして年期のはいったワインやシャンパン。夢のような料理が次々と運ばれる。
宝くじの報償は1万フラン。いまでも高価だから、当時ならばどのくらいになるのだろう。それを推察するのは野暮であるが、そうとうな金額であろう。バベットはさらっと一晩でそれを使いきる。
重厚な映像に、ひと匙のユーモアをあわせた、これは秀逸な映画。料理の素晴らしさと、庶民のつつましさの対比が見事。
贅沢は、たまにがいい。
エレーヌ・グリモーのピアノ、ジンマン指揮ベルリン・ドイツ交響楽団の演奏で、シューマンのピアノ協奏曲を聴く。
シューマンの、特にピアノ曲は、女に対する欲情を常にふところに持っている男が書いた音楽ではないかと思う。
よって、これらの曲は男が弾くにふさわしい。
いまでも、そう思う。ハスキルもアルゲリッチもなかなかいいが、もう一歩踏み込みがあればと思う。偏見だとは思う。
だから、まだ全然若いグリモーがシューマンを弾いたからとて、興味をそそられることはなかった。若い女に、シューマンの何がわかるのか。
しかし聴いてみると、いい。この欲望をどうやったら発散できるんだコノヤロウ、といった、シューマンの心の声の一端が聴こえる。瑞々しいながら、屈折した明るさもある。グリモー、ときに25歳。若いからこの気持ちがわかるのか、あるいは天性のものなのか。
ジンマンのオケもいい。細部に拘った演奏。ピアノをうまくサポートしつつ、オーケストラも存分に鳴らせている。シューマンの欲深さはない代わりに、健全さをアピール。
1995年6月、ベルリン、イエス・キリスト教会での録音。
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