ペーター・シュライアー(T) エッシェンバッハ(Pf)/シューマン「リーダークライス」作品24本日は人間ドック。
毎年、肝臓か胃に不具合が出るのだが、今年は特に異常なし。毎日のように宴会(というか、ほとんどひとり宴会)をやっているので、これは意外な結果だ。
悪い腫瘍が見つかっても、おろおろしないよう心構えだけはして臨んだつもりだったが。
病気の原因の多くはストレスだと言われているが、今年の前半はストレス続きで本当に俳人、じゃなかった廃人になるかと思ったけど、秋ごろから大分楽をさせてもらえるようになったのがよかったのかも知れない。
気づいてみれば、シューベルトはおろか、モーツァルトよりも年上になっており、メンデルスゾーン越えも達成し、少しすればシューマンにも肉薄してくる。
このジンセイ、どのように締めくくればよいのか?
なみいる天才たちと比べてもしょうがないのだが、まあ、ひとつの感慨ではある。
ガンがみつかっても、びくともしない気構えだけはあるが(!?)、幸か不幸か今のところ、そこそこ丈夫のようである。
衰えたのは視力が落ちたのと、心臓が大きいという指摘を受けたところ。視力は、たしかに細かい字が見えなくなっていうので落ちたかという自覚があるが心臓は。
なにかあったとしても、苦しまずに、あっという間に逝きたいものだ。
これは多くのヒトの希望であるのかも知れないが。
リーダークライスという曲をシューマンは生涯に2セット作曲している。作品番号でいえば24と39である。
どちらかといえば、アイヒェンドルフの詩による39のほうが有名かもしれない。この曲があらわす夜はとても深く、現実世界を完全に忘却される魔力を秘めていて恐ろしい音楽だが、ハイネの詩による24も捨てがたい。
全編に渡って性をみずみずしい感性で歌い上げられていて、わが悶々たる青春を思い起こさずにはいられない。冒頭から濃厚なブンガク性を撒き散らせて胸が痛くなる。
女性がこの曲をどう聴くかは興味のあるところではある。シューマンの描いた、男の自己中心的オナニー的世界をどう聴くか。「水車小屋の娘」ほどには洗練されていないし、ある意味泥臭い世界を十全に描いていて心地よい音楽なのだが。まあ、あまり前向きな評価は得られないのかなあと想像はするのである。
エッシェンバッハは、F=ディースカウとも同じ曲を演奏していて、若い男の純情さを引き出して余りない弾きっぷりであった。シュライアーとのものは、歌手の成熟のせいかテンポがゆっくりで、そのぶん広がりのあるピアノを聴かせる。
シュライアーは一言一言を丁寧に語っており、歌詞の重みを伝えてくれる。美声は相変わらず健在。
50半ばのオヤジがこんな純情な歌を歌えるなんて、ステキではないか。★音楽blogランキング!★にほんブログ村 クラシックブログ無料メルマガ『究極の娯楽 -古典音楽の毒と薬-』 読者登録フォーム
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