アンネローゼ・シュミット(pf)嫌煙ファシズムが蔓延する日本で、こういう本が出ることは快挙といえるかもしれない。
「愛煙家通信№2」を読む。
筒井康隆、島地勝彦、西部邁、倉本聰らが綴る煙草への愛着。
今の嫌煙状況は、筒井の以下の言葉に集約されている。
「現代社会の基本原理は、『排除の原理』です。これが、禁煙ファシズムにも、相撲賭博問題にも、政治家叩きにも出ている。喫煙者や相撲取りをいじめ、政治家を罵倒して痛快さを味わっている。生きた人間をいたぶるのは、嗜虐的な快感があるし、皆がやっているんだから罪悪感を感じなくてすみます。『正義』と『善』を振りかざして、嬉々としている」
とりわけ、マスコミはひどい。先週、受動喫煙でひと月に6800人が死んでいるという記事が大きく報じられていた。厚労省の報告を疑いもせずに取り上げているのである。そもそも、この数字、どうやったら証明できるのか。フシギである。
煙草は、自動車とアルコールのスケープゴート。被害の大きさよりも広告料が大事なのである。
先日、フジコ・ヘミングがテレビに出ていて、煙草を吸いながらインタビューに応じていた。この人のピアノを聴いたことはないが、やるに違いない。
シューマンは「幻想曲」をリストに献呈し、お返しに「ロ短調ソナタ」と受け取ったというが、どっちがいいかと言われると甲乙つけがたい。
昔はリストがのほうがおトクじゃないかと思っていたが、その後「ロ短調」のよさにも気づいて、今はいい勝負。ホロヴィッツは両方に名演を残している。
「幻想曲」の録音は多いが、納得できる演奏はさほど多くない。シューマンは霊感大王であって、この曲にもある種のインスピレーションが必要なのであって、その濃度が勝負というところがある。霊感ってなんぞや、と問われると説明に窮するが、シューマンの個性とも言うべき幻想世界なのダ。
シュミットのピアノは、ここでも粒立ちがよい透明な音色である。2楽章でややもたつくのは、技術的な問題なのか、恣意的なものなのか不明であるが、雰囲気は出ている。全体的にオーソドックスなテンポであって、こうした演奏のほうが、シューマンの「霊感」は濃くにじみ出るようだ。
1973年、ブルネン・シュトラーセ・スタジオでの録音。
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