春日武彦(文), 吉野朔実(漫画)の「つまらない人生入門 (鬱屈大全)」を読む。
これは不思議な本だ。精神科医である著者が、過去の「つまらない」出来事を断片的に書いている。
そこには過去に対して、こうすればよかったとか、こんなことをするべきじゃなかった、というような後悔はなく、ただただ事実が淡々と描かれている。
漫画もまたフシギ。著者のひとつのエピソードごとに挿入されているのだが、文章とリンクしていない。こちらはこちらで、独自の話を展開させている。漫画はフィクションだろうと思われるが、なんだか鬱屈している。
文章にも漫画にもオチはない。もやもやしている。
それが人生なのだ、ということだろう。
アファナシエフのピアノでシューベルトのピアノ・ソナタ17番を聴く。
彼のシューベルトというと、「幻想ソナタ」での長い長い演奏が印象に残っているので、この曲においてもユニークなピアノになることを予想したが、はずれた。
テンポは至極まっとうで、大きな変化球も見せない。澄んだ響きでもって、快活に演奏している。もっともこの曲はニ長調なわけだから、明るいのは当然かもしれないが、なにしろシューベルト晩年の作品である。陰をみつけて、それを大きくフォーカスするような手立てもありそうだが、アファナシエフはそうしなかった。
2楽章の試みは面白い。第1テーマをスタッカートで鳴らせている。アファナシエフがやろうとすれば、谷底に落ちるような音楽に仕立てることも可能であるだろうが、このスタッカートが音楽を健全な地上(?)に留めさせている。しかし、美しい。
3楽章は、適度な重量感をもった立派な演奏。左手のアクセントがよく利いていて、音楽を活発にしている。
ライナー・ノートでアファナシエフは、こう書いている。
「シューベルトの最晩年のピアノ・ソナタは、日本の"時"だ」。
として、与謝蕪村の句を引用している。
水仙や
寒き都の
ここかしこ
「シューベルトの『天国的な』旋律は、すなわち水仙は、冬のピアニッシモの中で開花するように演奏されると、より純度を増していく。水仙よ!」。
よくわからない。笑
2010年9月、ルガーノ、RTSI放送局アウディトリオでの録音。
青空。
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