グリーグ「抒情小曲集」 エミール・ギレリス(Pf)ドストエフスキー(亀山郁夫訳)の「悪霊3」を読む。
「悪霊」を読み終えた。結局1年以上かかってしもうた。
この第3部は、それまでの2冊で展開された人間関係をすべて清算することになるわけだが、なぞは残る。
スタヴローギンは結局なにをやりたかったのか。ピョートルはただの殺人者なのか。5人組の崩壊は社会主義革命の失敗を示唆している一方で、ステパンの死は体制の終わりを告げるものと解釈できるのか。
私には難しい。翻訳者は、巻末に丁寧な解説をつけてくれているけれども、それを読んでも全てを納得できたとは言えなかった。
ただ、この3巻は一気呵成の圧倒的な筆力(翻訳力?)があって、ぐいぐいと引き込まれた。時間を忘れて読みふけった個所も少なくない。
もっとも、主要人物がこんなに多く死ぬ文学作品は珍しいのじゃないかな。
なかでも印象的だったのは、シャートフとその妻マリーの最後の部分。シャートフが妻を許して子どもを産むことに同意するシーンは感動的である。ここでのシャートフの行為は無償の愛とでも言えるもので、はるか昔に読んだ「白痴」におけるムイシュキン公爵を思い起こさせるのだった。
ギレリスのグリーグを聴く。
かねてから評判のCDであったものの、機会がなかった。それを取り戻すかのように、この1ヶ月はほぼ毎日これを聴いていた。抒情小品集をこんなにまとめて聴くことはもうないかもしれない。
珠玉の作品をギレリスが慈しむように弾いている。曲の雰囲気は、乱暴に言ってしまうと、湿度の低いシューマン。ひんやりとしたロマンをなみなみと湛えている。この時期だけに、一服の清涼感がある。
このCDには20曲が収録されている。「アリエッタ」の淡い抒情、「蝶々」の夢のような飛翔、「メロディー」のせつなさ、「音楽帳」の濃い夜の匂い、「夜想曲」の凍った湖のような肌触り、「余韻」の何もかもふっきれたような清々しさなど、好きなところをあげていけば全曲出てしまう。
これは、ずっと手元に置いておきたい1枚。
1974年6月、ベルリン、イエス・キリスト教会での録音。
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