ガーシュウィン「パリのアメリカ人」 プレヴィン指揮ロンドン交響楽団内田樹の「『おじさん』的思考」を読む。
内田樹が社会の様々な様相について考える。どれもいろいろ示唆に富んでいるなかで、教育について述べた文章は印象的。
「極論すれば、大学教師であるためには『バカであること』は障害にならないのである。『バカであることを恥じている』だけで十分なのである。」
というのは、学びの場を駆動しているのは「知への愛」だからだという。なるほど。
これを勤め人に当てはめてみると、
「仕事ができないことは障害にはならず、仕事ができないことを恥じていれば仕事は回る」
とでも言えるかな。ちょっと無理があるような気もするけど、思い当たる節はないでもない、というか、むしろこういう局面は少なくないように思う。
こういう考え方ができる、あるいはしてしまうのがおじさんなわけで、それはいいことなのか、悪いことなのか。
プレヴィンの「パリのアメリカ人」、これは1回目の録音で、ロンドン響を振った演奏。
曲全体をわし掴みにしたような大柄なフォームに、豊満で色彩豊かな響きがまんべんなく色塗られていて、なんともゴージャス。
休日の昼下がりにまったりとこの音楽に身を浸せば、心はパリかアメリカだ(どっちだ)。
「パリのアメリカ人」に関しては、このロンドン響のがあればじゅうぶんという気が、今はする。後にピッツバーグと再録音した演奏は聴いていないが、どんなものだろう。
1971年6月、ロンドン、アビー・ロード・スタジオでの録音。
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