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ショルティ、"ニュルンベルクのマイスタージンガー"

2014.02.22 - ワーグナー

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音楽に思想はない。
思想とは言葉だからである。
よって音楽を聴くときは極力、作曲家の心情や、曲が作られた背景などの「物語」を持ち込むべきではない、と考える。

先日のゴーストライターの事件で悔しい思いをした人の多くは、「物語」を通じて音楽を聴いていたのではないだろうか。
聴いていたものは、音楽ではなく、広島の被爆者で耳が聴こえない人が大交響曲を作ったというストーリー。
いい曲であれば、作った人が被爆者だろうが健常者だろうが、あるいは大金持ちであろうが、作った人物の属性にはなんら関係のないことである。
「物語」を前提に音楽を聴くことは、無粋だ。


話は飛躍するが、オペラの聴き方もそれに通じると考える。
オペラを聴くとき、ストーリーはあまり鑑みない。ドイツ語であろうとイタリア語であろうとフランス語であろうと、どうせ聴いてもわからない。だから、「何を歌っているのか」を重視するのではなく、「なにが響いているのか」を尊重する。
歌手の歌も、フルートやチェロと同じように、ひとつの楽器だと捉えるわけだ。
日本でもけっこう前から、器楽曲とオペラとの批評をわけているメディアがあるが、それは正しいことのようでもある。私のような聴き方をするのなら、ひとつにまとめてしまってもいいような気もする。

そんな聴き方をしているからだろう。飲みこみが遅い。ショルティの「マイスタージンガー」の面白さを、通して7回聴いてわかった。
ここ3週間、毎日朝夕の通勤時間に聴いていたが、この2,3日でようやく面白くなってきた。
とはいえ、あらすじはなんとなくわかるが、セリフのすみずみまでは、とてもじゃないが理解できない。けれども対訳は読みたくない。単なるものぐさなのである。
でも、音楽のよさは一応わかっているつもり。

まずいいのは1幕の前奏曲。ショルティは同じころにシカゴ響とも録音しているが、それよりもよい。スタイルが鋭角的で激しい。ウイーンの豊満な響きに調和して絶妙な緊張感を醸し出している。

1幕のワルターの独唱(「始め!」と春が森に我らを)。70年代はコロの絶頂期だと思うが、ここでは素晴らしく力強い歌を聴かせてくれる。白金のように輝かしく、その煌めきは最上のトランペットよりも魅力的。ウイーン・フィルのねっとりとしたからみもいい。

2幕の聴きどころは、ラスト近くの騒然としたフーガ。うらぶれたリュートを伴奏にして歌われる、あたかも酔っ払いの歌であるかのようなベックメッサーのセレナーデ。悪くはないものの、何かが足りないような気がする。それはショルティの指揮も同じ。演奏は立派だけれど、何かが足りない。それがなにかわからない。この曲を多く聴いていないのでなんとも言えないが、クーベリック盤のほうが、開き直ったばかばかしさと臨場感の高さはある。

3幕はまず前奏曲。荘厳にして神秘的。深いコクのある金管群もさることながら、低弦の幽玄な響きがいい。ショルティのセンスが光る。
2場のザックスの歌は、豊満で威厳たっぷり。線の細いダーヴィトとの対比が面白い。
あとはなんだかんだと言って、ラストの高揚がおいしい。ウイーン・フィルの柔らかな響きと、ショルティの切れのいいリードが、ここでもうまくマッチしている。

バラッチュの合唱は、全曲を通じて安定しており、最上のプロの底力を感じないわけにいかない。



ザックス    ノーマン・ベイリー(Bs)
ヴァルター   ルネ・コロ(T)
ベックメッサー ベルント・ヴァイクル(Br)
エヴァ     ハンネローレ・ボーデ(S)
ポーグナー   クルト・モル(Bs)
ダーヴィト   アドルフ・ダッラポッツァ(T)
マグダレーネ  ユリア・ハマリ(Ms)、他
ウィーン国立歌劇場合唱団
合唱指揮:ノルベルト・バラッチュ
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団


1975年10月、ウイーン、ゾフィエンザールでの録音。








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魚市場。











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Comment

無題 - アソー

佐村河内氏のゴーストライター事件は芸大偽ヴァイオリン事件以来のスキャンダラスな出来事だったと思いますが、識者の方々からもサイドストーリーに騙された点を指摘する声が上がっていますね。フジコ•ヘミング女史の時も同様でした。ま、あちらは勿論事実でしたが。
ただ、サイドストーリーを手掛かりに作品や芸術家を理解して行くのはそれ自体は悪くない事だと思います。子供の頃、LPを聴きながらジャケット裏のライナーノートを読むのが無常の幸せだった私としては受容の在り方の一つとしてアリかなと思います。
フルトヴェングラーなども、ベートーヴェンを産んだドイツ最高の指揮者で、戦時中ドイツに留まってナチに抵抗し、戦後は戦犯容疑までかけられ、聴力を失い亡くなった悲劇の指揮者というサイドストーリーがなければこれ程日本で人気があっただろうか?と思います。私は大ファンですが…。
其れより佐村河内氏は作曲どころか譜面すら書けないのに作曲家として有名になって、果たして自分で虚しいと思わなかったのか、記者会見でぜひ聞いてみたいところです。
2014.02.23 Sun 17:11 [ Edit ]

難しい問題ですね。 - 管理人:芳野達司

アソーさん、こんにちは。

佐村河内氏が新垣氏に渡したといわれる図面を見ましたが、全体の構成はよく描かれているものの、肝心のメロディー・ハーモニー・リズムが抜け落ちているので、作曲行為と見做されなくても仕方がないと思います。
ただ、いい人なんだろうとは思います。

さて、音楽は物語抜きで聴くべきだと風呂敷を広げてしまいましたが、それはひとつの理想だと思っていて、実践できてはいません。
とくに標題音楽がそうです。「幻想交響曲」や「田園交響曲」などは、その標題を抜きに聴くことは難しいし、今後も払拭できないでしょう。

>子供の頃、LPを聴きながらジャケット裏のライナーノートを読むのが無常の幸せだった私としては受容の在り方の一つとしてアリかなと思います。

同感です。今は輸入盤が安く手に入るのでその習慣もなくなりつつあるのですが、クラシック音楽を聴き始めたころは、読むのが楽しくて仕方がなかったものです。それに飽き足らず「レコ芸」を読み漁ったことは言うまでもありません。

では音楽批評をどう考えるのかと言われると、これがまた難しい。音楽を利用した自己表現手段、としか今は言えません。
2014.02.23 17:55

こんばんは〜 - rudolf2006

ポンコツスクーターさま    こんばんは〜

絵画でも音楽でもそうですが、「物語」を持ち込んで、分かりやすくしようとする試みもありますが、そのせいで、その「物語」がなかなか抜けずに困るというのもあるかもしれませんね〜
ただ、絵画も音楽も、その印象を語る際には「言語」が必要となるところが厄介なところですね

ヴァーグナーのオペラは粗筋しか知らないものが多いです、昔、バイロイト音楽祭のFM放送での柴田南雄さんの解説を聞いていました、今もそれほど変わっていないかも〜爆〜

ですが、「マイスタージンガー」は大好きなものなので歌詞も覚えているところもありますね、山のように聞いているので〜
ショルティ盤は両方持っていますが、私も、ヴィーン盤の方が好きですね
すぐにCDが見つかり、大好きな3幕の前奏曲を聴きながら、書いていますが、芳醇な音楽ですよね〜

ミ(`w´彡)
2014.02.23 Sun 17:22 URL [ Edit ]

こんばんは! - 管理人:芳野達司

rudolf2006さん、こんばんは。

ワタシは、ワーグナーのみならず、ヴェルディもプッチーニも、粗筋をよくしらないまま聴いている乱暴者です。笑
本当は、家で聴くならDVDで、できればオペラ座で実際に聴くのがいいのでしょうけど、自分の部屋にテレビがないわ、オペラは高いわでなかなか実現できません。

バイロイト音楽祭のFM放送は聴いていました。ワーグナーは年末に聴くものだとずっと思っていました。柴田南雄さんでしたか、時間をたっぷりととった解説は面白かったのですが、たいてい途中で寝てしまいました。

ショルティの「マイスタージンガー」、rudolf2006さんの記事も参考にさせていただきながら聴いていました。シカゴのはまだ聴いていませんが、いずれチャレンジしたいです。
いま、ショルティの「タンホイザー」を聴いているのですが、これを聴くと「マイスタージンガー」がいかに複雑に作りこんだ作品なのかということを感じました。
2014.02.23 18:01
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