ホロヴィッツ名演集坂口安吾の「決戦川中島 上杉謙信の巻」を読む。川中島の戦いの合間に松代大本営に赴くシーンがあるなど、不思議な昭和の残存の香りもする短編。
戦いのまえに、直江津の旅館でバイ貝を食うシーンがいい。
「余はバイを一つつまみ、臍の緒のようなものをひきだして舌にのせた。噛みしめると、実にうまい。貝の固さがなく、草木の若芽の如くに腹中に溶けこむ趣きである。余は皿のバイをみな平らげて、放善坊の皿をひきよせた」。
来週末は貝だ。
ある程度知っている曲について、自分の頭のなかで何度も反芻し、自分なりの演奏像を作ることがよくある。
ブルックナーの8番ならここは金管を増強して皮が破れるほどティンパニを強打するだとか、ハンマークラヴィーアならここはグッとテンポを落としてかつリズミカルにとかなんとか、まあとにかく自分なりの理想の演奏を作ってしまうことが、特に酔っ払っているときなどにあるのだ。
だから、実際にプロの演奏を聴いても、自分の理想像の想定内である場合は、つまらなく感じてしまうことがある。その反面、想像を超える演奏に出会ったときはうれしいもの。
ホロヴィッツのピアノからは、こちらの貧弱な想定を大きく超える演奏が少なくない。この「メフィスト・ワルツ」もそのひとつ。
なんなんだ、この音の多さは。ふたつの手から発する音にしては多すぎる。タコがピアノを弾けばこのくらい賑やかになるかもしれない。いや、指がないから無理か。ならばリヒテルとギレリスがふたりがかりで弾いたようなものか。それはベルマンか。技術的にはベルマンよりすごいのじゃないかな。巨匠ふたりがかりよりすごいかはともかく。
しかしこのピアノ、多彩さと強靭さと迫力において、そのへんのオーケストラではとても太刀打ちできない。
金属的で豪胆な強い音から繊細で張りのある弱音まで、下品なくらいによく鳴るピアノである。名人というのは少し下品なものなのだ。
ホロヴィッツのリストは1979年のもの。生年は1903年とか1904年とかあるいは19世紀であるとか諸説あるが、少なくとも70歳を越したときの演奏であることは間違いないだろう。恐れ入りました。
1979年の録音。
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