野村克也の「考える野球」を読む。
長嶋、王、江夏、門田、江本など、ひと癖もふた癖もある選手たちと戦い、あるいは指導をしてきた著者。
今の野球は小さくなった、などという月並みなセリフは出てこないのはさすがだが、昔の選手たちの武勇伝がちらほらでてくるところをみると、楽しく懐かしんでいる様子が目に見えるようだ。
江夏が南海にいた頃のエピソードが面白い。彼は当時、毎晩のように徹夜マージャンをしていて、まったく家に帰らなくなったらしい。それをみかねた奥さんの母親がとった行動が凄い。野村が住んでいたマンションの隣の部屋を買って、江夏をそこに引っ越しさせ、「ずっと監視してほしい」と頼んだのだと言う。
その日から、野村は江夏の運転手(江夏は運転免許を持っていなかった)。球場に行くときも帰る時も一緒。江夏はさすがに繁華街には行けないのでヒマだから、野村の部屋にやってくる。そして深夜まで野球談議。
江夏は無頼派に違いない。だが、野球が好きであってこそのあの実績なのだろう。それにつきあう野村の指導もスゴイ。
ビーチャムの指揮でモーツァルトの交響曲41番「ジュピター」を聴く。
今週の木曜日。
もよりの駅の交差点で、おもむろにipodを耳につけ、地下鉄に乗る。ビーチャムの演奏はもちろん、大編成による古式ゆかしいスタイル。
有楽町を下りてJRに乗り換える頃、2楽章が終わり、華めいた3楽章が始まる。朝の満員電車で聴く音楽にふさわしい。浜松町を過ぎるとだいぶすいてきて、やがて終楽章が始まる。めくるめくフーガ、いままでに何百回聴いたことか。全く飽きない音楽だ。
品川の駅について、階段を上っていくと、フーガのテンションがぐんぐんあがっていく。
そして改札を出て時計台が見えたときに、ティンパニの轟音とともに曲が終了。
朝から音楽を聴いて感動したのは初めてかもしれない。
朝のラッシュとモーツァルト、そしてビーチャムが織りなしてくれた、珍しくも大切な時間。
トーマス・ビーチャム(指揮)
ロイヤル・フィルハーモニック
1957年3月、ロンドン、アビー・ロード・第1スタジオでの録音。
ペドロジャンプ。
牛の品評会。
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