ベートーヴェン「ハンマークラヴィーア」 アシュケナージ(Pf)ユダヤ人とは何なのか、昔から疑問だった。
なぜユダヤ人はナチスに迫害されたのか、といったことから始まり、クラシックの音楽家にも多く存在することがわかって興味を持ったわけだ。クラシックの評論文に「ユダヤ」というキーワードが出てくることは少なくないが、それが何を意味するのかを明快に定義している文章を、いままで読んだことはない。「ユダヤ」をほんのちょっとだけ気にしながら生きてきたが、まだ納得できる説明には出会えていない。本当はみんな知らないくせに、雰囲気で使っているのだろうと確信し始めてから、時がたってしまった。
そこで、思い出したように内田樹のこの著作を手に取ったわけなのだけど、読み終えた今、やっぱりよくわからない。
著者自身がまえがきで、中立的で正確な知識を得たい人は読まないほうがいいと言っているが、この本からも概要レベルを汲み取ることはできる。例えば、ユダヤ人とはユダヤ教信者の子孫である、との記述である。ただ、「なぜ迫害されるのか」という問いについて、とても幅の広い(形而上学的というべきなのかな?)解釈をしているので、そこを実感するのがやっかいなのだ。
とはいいつつ、ひとつの結論に至るまでの考証は実にスリリングであり、一気に読まされる。そういう意味では、上質なミステリーに似ているところがあるかもしれない。
アシュケナージが最初に録音した「ハンマークラヴィーア」ソナタを聴く。
柔らかくて粒立った音はこのピアニストの大きな特長であって、それはこの楽聖の後期の大作においても、すみずみまで如何なく発揮されている。痒いところに手が届くような気持ちよさがある。技術の冴えもこれ以上は望めないくらい。1楽章における切れのよさとフットワークの俊敏さは、ちょっと今まで聴いたことがない。ギレリスやポリーニより、こちらをとりたい。
3楽章は、春の野花を丁寧に摘み取るよう。優しくて暖かい。途中、いささか単調な気がしないでもなかったが、みずみずしい流れの魅力は、それに優るとも劣らない。
終楽章ものびのびと開放的なピアノが楽しい。あいまいさを取りのけた明快さで、一気呵成に進んでゆく。こういうベートーヴェンの後期の演奏も、ひとつの見識。
ときにアシュケナージ30歳。才気が漲っている。ちなみに、この人もユダヤ人なのだそうだ。
1967年7月、ロンドン、キングズウェイ・ホールでの録音。
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