ワイセンベルク(Pf) カラヤン指揮ベルリン・フィルロアルド・ダール(田村隆一訳)の「味」を読む。
美食家同士が、ワインの銘柄を当てる賭けをする。問題を出すほうは娘を、回答するほうは家を、負けた時はそれぞれ差し上げるという。ワインを賞味する男のウンチクが、話の根幹になっていて、とてもスリリング。
「それではと、メドックのどの自治区の産か。これまた消去法により、そう苦労せずに判定できる。マルゴオ?ちがう。マルゴオではありえない。マルゴオの、あの強烈な芳香なし。ポイヤック?ポイヤックでもない。ポイヤックにしては、感じがやさしすぎるし、おとなしくて、なにか思いつめている」…。
こういうくだりが延々と続く。ワインの銘柄は全くしらないのに、ぐいぐい読ませられるあたりは「美味しんぼ」の世界に近いかもしれない。
ワイセンベルクとカラヤンによるベートーヴェンのピアノ協奏曲全集は、クラシック音楽聴き始めの頃、憧れの存在だった。なんといっても指揮はあのカラヤンだし、ワイセンベルクというピアニストはよく知らないけれど、なんだか知的な顔立ちで只者ではなさそうだ。なにしろカラヤンが選んだ人なのだからなあ、とかなんとかつぶやきつつ、石丸電気の棚をヨダレを垂らしながら眺めていたことを思い出す。
それから30年以上がたって、LPはCDになり、レコード店はネットが中心になり、音楽を購入する手立てが変わってきた。その間にこちらもなんとかオトナになったし、CDそのものは当時の半分以下の値段で入手できるようになってしまった。けれども、この演奏の価値は変わらない。あたりまえのことかもしれない。若い頃に憧れだった存在は、今もってやはり、特別な感興を呼び起こしてくれるのダ。
冒頭のティンパニの楔がガツンと決まって、幕を開ける。弦楽器の壮麗なことはこのうえない。「皇帝」という曲に求めたい華やかさが、これでもかというほど堪能することができる。カラヤンに迷いなし。
ワイセンベルクも期待を裏切らない。期待とは、カラヤンが想定したであろう方向を想像している。硬質な音はどこまでも明快であいまいさがない。全体的に高音が強いから、きらびやかだ。たぶんそれに合わせているのだろう、ベルリン・フィルはいつもより重厚さを抑えている。
こういう演奏、「皇帝」には合っているように思うなあ。
1974年5月、ベルリン・フィルハーモニーでの録音
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