ベートーヴェン ピアノ協奏曲全集 グルダ(Pf) シュタイン指揮ウイーン・フィル姜尚中の「悩む力」を読む。
夏目漱石とマックス・ウェーバーの作品を引用しつつ、さまざまなジンセイの悩みについて解いてゆく。
『何のために「働く」のか』の項では、人は金のためにも働くのであるが、それ以上に「他者からのアテンション」のために働くのだと語る。ここでいうアテンションとは、ねぎらいのまなざしを向けるということである。
それはすなわち「社会のなかで、自分の存在を認められること」に他ならず、「見知らぬ者同士が集まっている集合体」のなかで、他者から「仲間として承認される」ことが働くことだと言う。
なるほどとは思いつつ、これはさほど新しい意見ではない。この類の考え方は、いままでの多くの古今の作品から読むことができるから、発想そのものはむしろ従来からの反復といえる。
この本の魅力は新しい考えにあるのではなくて、むしろ、姜の優しい眼差しにあるようだ。
ヒトに対してもモノに対しても、彼はふくよかで、かつ大きな手のひらで読者を包みこむ。それは漱石やウェーバーについての深い解釈にもよるかもしれないが、彼のキャラクターから滲み出る包容力が大きいのだと思う。
この本の根底に、人間に対する優しさが横たわっている。
グルダの弾くベートーヴェンのピアノ協奏曲、この「皇帝」で全部聴くことができた。
1番から4番まで、まんべんなくいい演奏だったので、これも期待していたが想像通りすばらしい出来上がりである。
羽毛のように軽やかな音色を醸し出すグルダのピアノは、適度な起伏と情感をもっていて、生き生きしていることこのうえない。なんて自在な音楽なのだろう。
シュタインのオケもすばらしい。全ての楽器がこれ以上は考えられないくらいのみずみずしさで鳴っている。
スケールの大きさはさほど感じられないものの、今生まれたかのような鮮烈な生命力は、まったくかけがえのないものだ。
ジンセイで初めて「皇帝」を聴いたときの喜びと感動が、新鮮に蘇ってくる。
ベートーヴェンを聴く楽しみが満載だ。
同曲では、ミケランジェリとチェリビダッケ/パリ、バックハウスとクナッパーツブッシュ/ベルリン、それとグールド/ストコフスキーを気に入っているが、これはそのどれとも違ったユニークさがある。
これは掛け値なしの名演だと思う。
1970年、ウイーンでの録音。
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