コリン・デイヴィス指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団ショーペンハウエルの「自殺について」を読む。
著者はまず、自殺を罪だとするユダヤ系の宗教の「坊主ども」に対する批判を展開する。旧約聖書にも新約聖書にも自殺に対する禁令は記載されていないにも関わらず、自殺を犯罪の一種にさえ数えるような風潮が19世紀のドイツや英国にあったということらしい。面妖なことである。
それに対し、古代の人達はそのような態度からは隔たりがあった。
プリニウスの言葉。「生命というものは、どんな犠牲を払ってもこれを延ばしたいというほどまでに、愛着せられるべきものではあるまい」。
また、アリストテレスは自殺を国家に対する不正と考えていたが、ストバイオスは「善人は不幸が度を超えたときに、悪人は幸福が度を超えたときに、人生に訣別すべき」、と言っているし、ストア学派に至っては「自殺が一種の高貴な英雄的行為として賞賛されているのを我々は見出すのである」とのことである。
引用と自説を駆使して自殺の正当性を述べてゆくが、最後に哲学者らしい妙なスパイスを効かせる。
自殺はひとつの実験であるという。「即ちそれは、現存在と人間の認識とが死によってどのような変容を蒙るか、という実験である」。ただ、この実験は手際が悪い。「肝腎の解答をききとるべきはずの意識の同一性を、この実験は殺してしまうのだから」。
ショーペンハウエル、実はこのギャグを言いたくて本を書いたか。
C・デイヴィスといえばベルリーズのスペシャリストとして誉れ高いが、今まで多くを聴いてこなかった。今井がヴィオラを弾く「ハロルド」、エアチェックしたウイーン・フィルとの「ロメオとジュリエット」(これは最高!)、ロンドン響との「幻想」、これくらいであって、まだまだ聴きが甘いのである。
「幻想」は「LSO live」シリーズのひとつで、廉価なので買ったもの。これはあまり好きではなかった。残響が強すぎるせいか、細部の音がまるで聴こえないので、音がぼんやりしたひとつの塊になって押し寄せる演奏になっている。現場で聴いていれば臨場感があるのだろうが、CDとして聴くにはいささか物足りないかなあ、というわけで1回だけ聴いて、あとは放置プレイだ。
それに比べると、コンセルトヘボウとセッション録音をしたCDはよい。演奏も録音もすばらしい。ひとつひとつの音に細心の気配りを利かせている。
重すぎず軽すぎず、適度に厚みのある弦が全体のバランスを整えている。そのうえに乗っかるソリストもうまい。うまくて濃厚である。
テンポはじつにまっとうというかオーソドックス。あたかも、世に出回っている「幻想」のCDを全部足して数で割ったようだ。
このテンポだからこそ、アンサンブルの生々しさやソロの味わい、そして絶妙なニュアンスの按配をじゅうぶんに感じ取れるのだし、19世紀前半の革命的作品の新鮮さがよりはっきりと立ち上ってくるのじゃないだろうか。
1974年、アムステルダムでの録音。
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