ブラームス:ピアノ協奏曲第1番 メータ指揮イスラエル・フィル
武田邦彦の「偽善エコロジー」を読むと、大企業とマスコミの狡猾さにあらためて舌を巻く。舌を巻く、というと誉め言葉になってしまうけれど、世論は実に巧妙に仕掛けられている。良くも悪くも、アタマがいいことは間違いない。われわれ消費者がバカだといえばそれまでだ。けれど一方で、大企業の役員やマスコミの社員も消費者である。この立場の二重性が、組織の幻想というやつなのではないかと思う。ひとたび組織に属してしまえば、組織の外部に対しては、それが取引先だろうと客だろうと、騙すことにぬかりはない。
例えば、ペットボトルのリサイクル。あの容器は自分で洗えば何度も使うことができるが、リサイクルと称してゴミに出すと、洗浄に費用がかかるうえに実はほとんど再生できない。リサイクルがはじまる前は年間15万トンだった生産量が、リサイクル後は55万トンに増えている。業者が、多く捨ててもらおうと策略した結果である。
会社のビルの壁にちょっとヒビが入る程度の地震で、仕事なんかもうどうでもいいや、なんて言って放り出してしまうワタシには、そんな策略はできないのである。悲しむべきか。
ルービンシュタインのこのブラームスは、引退した年の演奏。ときに89歳、単に生き延びるだけでも大変な年齢なのに、ブラームスの、それも1番のコンチェルトを録音してしまうところがスゴイ、凄すぎる。
その年齢に免じて、まあピアノのほうはホドホドでいいですよ、なんて思っているとガツンと喰らう。ことに、1楽章においては切れ味が抜群であり、スケールの大きい輝かしさが目に眩しい。テクニックも問題ない、というかその辺の日本の若手ピアニストよりも安定しているくらい。メータの指揮も気合いじゅうぶん、広く響き渡る低音ががっちりとささえになって、ピアニストとがっぷり四つ。ニューヨークを振ったシンフォニーよりも、明らかにこちらがいい。
終楽章になると、ミスが目立ってくる。さすがに疲れたのか。この楽章に関してだけは、年齢に免じて、ということになるかもしれない。2楽章までは、いままで聴いたなかでトップクラスと思う。
1976年の録音。
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