ピリス/ブラームス ピアノ三重奏曲第1番ブラームスは、ダサい。
二重協奏曲の冒頭や、第2交響曲の両端楽章なんかは、メロディーともいえない音の羅列がしつこく押し付けがましく迫ってくる異様な音楽であり、根が暗い。このヒトはこういう音を創造することによって精神的開放というかストレス発散をしていたのだと思うと、少々気の毒になるくらいなものだ。
しかし、かたやワーグナーとなると、明るいしスケールが大きいしなんだかカッコイイ、ということになる。
ワーグナーは好き、といえばそれなりにかっこうがつくけれど、ブラームスが好き、などと言おうものなら、コイツは暗い奴だとバッサリ斬られるのがおちである。
古い例で申し訳ないが、フランソワーズ・サガンはブラームスを嫌いらしい(?)し、アラン・ドロンは、ワーグナーが好きだそうだ。
ドロンがブラームスを好きだなんて言ったら、多くの女性ファンは引くに違いないからネ。
これは、藤原正彦の年功序列論を応用すれば、本当はブラームスを好きなんだけど、なんか暗そうに思われるので、いちおう偉大だということでは人後に落ちないワーグナーとでも言っておくか、というような主張に結びつくのだと思われる。
ということは、逆に言えば、ブラームス好きというのは、潜在的には相当数いることになる。
かくいう私もその一人である。
やっぱりダサイとは思う。彼の音楽もジンセイも。
でも、ときどき、むしょうに聴きたくなるのだ。彼の音楽からは、弱い男のため息が聞こえてくる。
人間という弱小生物の綻びが、直球ストレートに描かれているのである。
こういう聴き方は、あまりにおセンチか。
でもいいのだ。
ブラームスは、やめられない。
さてさて、ブラームス。
この作曲家にはやはり独特のしつこさがある。メロディーとはとてもいえないような音の羅列をただただ単純に繰り返す場面がある。
それは特に前述した二重協奏曲や交響曲第2番の第1楽章に顕著で、中年男の発散できない癇癪がわさわさと噴出している感じがあって、どうも苦手である。
このような管弦楽作品に比べると、ピアノ曲や室内楽になると、発散できない癇癪ということでは同じなのだが、音のあたりが弱いので、悲しげなオトコのため息が絶妙に聴こえてくるのである。
このピアノ三重奏曲は、ブラームスが20歳の時の作品だが、ここにはすでに後年のまったり感が濃厚に発揮されている。冒頭のワンのチェロが伸びやかで厚くて、驚くほどよく鳴っている。
ロ長調というのは、珍しい調性だが、3人の合奏は流れがよく、ブラームスの若々しさと悲しさをみずみずしく描ききっている。★音楽blogランキング!★にほんブログ村 クラシックブログ無料メルマガ『究極の娯楽 -古典音楽の毒と薬-』 読者登録フォーム
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大作曲家に対して失礼千万ながら、やはりブラームスは「スマート」というよりは「ダサい」というほうが似合うのではないかと。また彼を「暗い」というのは確かで、ある意味ではチャイコフスキーよりも根が深いなにかがあるのかも知れません。もっとも、私にとって芸術家が「暗い」というのは最大の価値で、曲も演奏も暗ければ暗いほど魅力的であると思っております。
ピリスのブラームスは、悲しげな淡い表情がとても良いです。今度はヴァイオリン・ソナタに挑戦したいと思います。
しじみさん、充電中とのことですが、また面白い記事をお待ちしております。