アファナシエフのピアノで、ブラームスの4つのバラードを聴く。
彼のCDのライナーノーツには、たいてい能書きが書いてある。
それは誰かの詩の一節を引用したものだったり、親族の語った話だったりして、それが曲に対する自分の解釈にどんな影響を及ぼしたかというようなものである。お話の多くは、思い入れたっぷりで暗い。暗くてよい。だが、少々うざったい。
音楽に言葉は不要だと私は考えている。極端に言えば、歌曲やオペラにも言葉はいらない。言葉の意味は知らなくても、言葉の響きそのものが音楽に成り得ると考えているからだ。だから、なおさら、音楽に注釈は不要だと思う。
それはさておき、アファナシエフのブラームスはというと、これは素晴らしい。
とか言っておいて、実はこの曲で印象深いのはグールドの演奏だけだ。他のピアニストのものも聴いているはずなのだが、覚えていない。だから偉そうなことは言えないのだが、この演奏はいいと直感した。
前に書いておきながら引用するのもどうかと思うが、アファナシエフはブラームスの「後期ピアノ作品集」のライナー・ノートで、ロシアの詩人チュッチェフの詩がブラームスの晩年の憂鬱な情調を思い出させるとして挙げている。
沈黙せよ、身を隠せ、そして秘めよ
おのれの感情も夢も。
魂の深みに捨て置き
現われ消えるままにまかせよ。
夜空の星のごとく黙々と
それらを見つめ、そして沈黙せよ。
これはチュッチェフの「沈黙!」から一部を抜粋したものだ。
沈黙とは、音楽とまったく矛盾する言葉である。まるで、ジョン・ケージの哲学問答のようだ。
ただ、ブラームスのバラードは初期の作品であるが、この詩に通じるところはあるかもしれない。音と音の間の引き締まった空間。内に耽溺するような重み。青みのない空。
アファナシエフは、これらの言葉とは(たぶん)無関係に、ピアノを弾いているに違いないと思う。
そして、このピアノはダルくて、鬱屈していて、それでいて美しい。
1993年10月、スイス、ラ・ショード・フォンでの録音。
海辺にて。
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