マルクス・アウレーリウスの「自省録」(神谷美恵子訳)から。
「君にとって悪いこと、害になることは絶対に君の精神においてのみ存在するのだ」(第9巻-42)。
マーツァル指揮チェコ・フィルの演奏で、チャイコフスキーの交響曲2番「小ロシア」を聴く。
この曲は激しいところが少なくない。とくに終楽章のフィナーレの暴力的なまでの勢いは、かつて井上道義が言ったように、作曲者の裏の顔であるサディズムが炸裂しているように感じる。
ショルティやスヴェトラーノフはもちろん、ジュリーニやオーマンディがそうだし、穏健なスタイルで知られるアバドが指揮してもかなりのインパクトがある音楽である。数年前に実演で聴いた飯守泰次郎のものもそうであった。
けれど、このチェコ・フィルの演奏はわりとおとなしい。全体的に柔らかな風が吹いているかのよう。アンサンブルはとてもきめ細やかであり、適度に緩い。
冒頭のホルンはバボラークだろうか。重くてコクのある音である。それに続くヴァイオリンを始めとする弦楽器群はゆったりと大きく波打っていて気持ちがいい。勢いよりも落ち着いた佇まいを作ることに注力した演奏だと思う。
チェコ・フィルをこれまで2回聴いた。最初は東京文化会館での、ノイマン指揮マーラー「巨人」のリハーサル。それは、生まれて初めて聴く外来のオーケストラであった。ふくよかな響きに圧倒された。
2度目は10数年前の台北出張のおりに、このCDと同じマーツァルの指揮で聴いた。ドヴォルザークの7番がメインであったが、さほど感銘は受けなった。なのでそれ以来、この指揮者を積極的に聴いてこなかった。
でも2番は好きなので、久しぶりにこの指揮者を聴いてみたわけ。
終楽章はお約束通りに勢いがいいが、抑えている。第2主題が弦で鳴らされるところは極めて美しい。こんなになみなみとしたストリングスを聴かせてくれるオーケストラは、世界中を探してもそう多くはないだろう。そういうところに焦点を当てた演奏だ。そしてマーツァルという指揮者の特徴も、こういったところにあるのかもしれない。
2005年8月、プラハ、「芸術家の家」ドヴォルザーク・ホールでの録音。
朝。
重版できました。
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