新ハイドン弦楽四重奏団/チャイコフスキー弦楽四重奏曲集1これは中古で手に入れたCD。帯がないので、日本語表記がまったくない。まあ通常の輸入盤と同じである。そこでちょっと問題が。
この新ハイドン弦楽四重奏団は、ジャケットの表記によれば「New Haydn Quartet,Budapest」とあるので、ニュー・ハイドン弦楽四重奏団と書こうと思っていたが、知らない団体なので、念のためネットで検索してみると、「新ハイドン弦楽四重奏団」でのヒットのほうが明らかに多いので、この表記で書いてみた。
「ニュー」と「新」との使い分けは微妙で、例えば1964年から78年まで存在した「ニュー・フィルハーモニア管弦楽団」に「新」を使うことはないだろう。クレンペラー指揮新フィルハーモニア管、なんていうと相当違和感がある。これに比べると、新日本フィルや新交響楽団は、日本語なのでそれほど違和感はない。
「新」にカタカナ表記が続くと、なんか胡散くさいような、まがい物のような気が、私はしてしまう。
「わしはホンモノではないですぞ」と小声で主張されているような…。
今は東京フィルに合併されてしまったけど、「新生日本交響楽団」というオーケストラがあった。
「新」もここまで飛躍してしまうと、かえって小気味がいい。
でも私は、まがいものは嫌いではない。場末の屋台で売っている装飾品の胡散臭さ。ああいう装飾はジンセイのスパイスのようなものだと思う。本物はもちろん立派なものだけど、まがいものの駄菓子屋のような安っぽさもけっこう好きだし、この世の中になくてはならないものではないだろうか。
ただ、この新ハイドン弦楽四重奏団をまがいものだと言っている訳ではない。チャイコフスキー初期の独特の民族色を、甘すぎず辛すぎず、中庸な
感覚で料理している。
チャイコフスキーのこの曲は、第2楽章の「アンダンテ・カンタービレ」が有名である。
ことに、演奏会でこれを聴いたトルストイが涙を流した様子をみて、チャイコフスキーが「あの時ほど、喜びと感動をもって作曲家として誇りを抱いたことは、おそらく私の生涯に二度と無いであろう」と日記に書いたというエピソードは感涙ものである。つい、この楽章だけ何度も聴いてしまう。
私はこの話をずいぶん昔にFM東京のCMで聞いて知った。ウィスキーのCMだったか?
はっきりと覚えていないが、これは反則だよ、と思ったものだ。あまりによくできたCMであった。★音楽blogランキング!★にほんブログ村 クラシックブログ無料メルマガ『究極の娯楽 -古典音楽の毒と薬-』 読者登録フォーム
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所謂、通俗名曲ということになっていますが、時々むしょうに聴きたくなるのです。この新ハイドンSQの演奏は、弱音器を使っていないのですが、哀愁が漂うものになっています。
「ロシアン・マンスリー」、楽しそうですね。できれば、次回にでも乏しいストックからロシア・ネタをひねり出してみようかと思います。できるかどうか? お誘いありがとうございます!