小林秀雄の「学生との対話」を読む。
これは、小林が昭和36年から51年にかけて、九州で学生を対象に行った講演の記録。講義に加えて、学生からの質問に答える場面も収録されている。
小林は対談の名手でもあったから、ここでの講演でも切れ味がいい。文章と同じようなレトリックの冴えを放っている。
内容は主に「歴史」と「言い伝え」について多くを割いている。前者は本居宣長、後者は柳田國男に対する解釈を披露する。
ひとつづつ引用する。
「歴史は決して出来事の連続ではありません。出来事を調べるのは科学です。けれども、歴史家は人間が出来事をどういう風に経験したか、その出来事にどのような意味合いを認めてきたかという、人間の精神なり、思想なりを扱うのです。歴史過程はいつでも精神の過程です。だから、言葉とつながっているのです。言葉のないところに歴史はないのです。それを徹底して考えたのが宣長です」。
「証拠がなければ信じないという今日の流行思想によって、お化けは、だんだん追い払われるようになったが、何処から来るとも決してわからぬ恐怖に襲われる事は、人間らしい傷つき易い心を持って生活をつづける限り、無くなりはしないのです」。
ウイーン・アルティス弦楽四重奏団の演奏で、スメタナの弦楽四重奏曲1番「わが生涯より」を聴く。
スメタナは40歳頃の時に、耳がまったく聴こえなくなった。原因は梅毒である。その時、「わが祖国」の「高い城」を書いていた。やむなく劇場生活から引退し、その2年後の1876年にはアパートを人手に渡して、なんとか生活をしのいでいた。「わが生涯より」は、この年に書かれた。
1楽章の、ヴィオラの決然としたメロディーが印象的。悲壮感が漂っているが、力強い。このメロディーは終楽章にはヴァイオリンによって回帰される。このくだりは感動的だ。
2楽章は、初演の際にプラハ四重奏団から演奏不能とされた難曲であるが、アルティスは余裕の技巧でもって、陽気に生き生きと弾ききっている。中間部は甘い。いかにも「長い間暮らした貴族社会の思い出」という感じ。
ラルゴの3楽章は、悲痛ななかに、憧憬が色濃く醸造されており、アルティスは微妙なポルタメントを効かせて丁寧に演奏している。
終楽章は自由なソナタ形式で、要所にスラヴ風の舞曲が折り混ざった活発な音楽。ただ、最後は暖かい余韻を残しつつそっと終わる。
アルティスの演奏は全体を通して、合奏力もソロも上質。
ペーター・シューマイヤー(ヴァイオリン)
ヨハネス・マイスル(ヴァイオリン)
ヘルベルト・ケーファー(ヴィオラ)
オトマール・ミュラー(チェロ)
1992年9月、オーストリア、ハインツェンドルフでの録音。
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