
リヒテル/シューマン「幻想曲」他
このCDは買ってから即、車のダッシュボート行きになってしまった。
どうしてそういうことになったのか、よく覚えていないのだが、乱暴なことである。
カーステレオでは、聴いても実際のところ細かい部分を聴きとることできないし、なにしろ運転をしなくちゃならないわけだから音楽に集中できない。しかるに、クルマで聴くものは、それまでに何度も聴いて、熟知したCDでなきゃ採用してはいけないナ。拙宅のオーディオ装置は上等なものではないが、それでもこちらで聴くほうがずっとましである。
このリヒテルの幻想曲を車の中で何度も聴いたが、どうもピンとくるものがなかったので、あきらめて家に移籍した。
こうして改まって聴いてみると、ホロヴィッツの演奏が夢想的なインスピレーションの表出であるならば、このリヒテルのものは重い響きを基調とした彩りの多様さを追求した演奏である。
強弱と緩急のつけかたが絶妙であり、少し聴けばシューマンの音楽世界に没入してしまうこと請け合い。
とはいえ、第2曲での速いパッセージでもつれるところがあって、彼としては万全の演奏ではないかも知れない。
それにしても録音があまりよろしくない。全体的に靄がかかったようで、高音は時にビビる。この録音状態が、かなりリヒテルの足をひっぱっていることは間違いない。
もう少し録音がまともであれば、評価はかなり違ったものになるだろう。
この幻想曲は、リストのロ短調ソナタと相互に献呈し合ったことは有名だが、私はどちらかといえば、シューマンならではの不安定さと霊感をたたえたこの幻想曲をとる。
リストのソナタは何度聴いても難解で、とりつく島がないのである。リストは超絶技巧というレッテルが貼られた結果、本当の彼の魅力は多くの人には伝わっていないのではないだろうか。リストは技巧だけではなく、もっと深いものを目指して尚且つ表現できた人なのじゃないかと推察する。これからもっと聴きこんでいかなければ。
そんなことをのたまっている私も理解しているわけではないが、そんな気がしちゃったりするのである。★音楽blogランキング!★にほんブログ村 クラシックブログ無料メルマガ『究極の娯楽 -古典音楽の毒と薬-』 読者登録フォーム
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