シューマン 歌曲集 ポップ(S)パーソンズ(Pf)今日は谷中に墓参り。
桜の花がほんの少し咲いていた。春分が、あと一週間遅かったならば、桜が満開のなかで墓参りになっただろう。
途中、上野公園を歩いて帰ったが、ほとんどの木がまだ蕾なのに、もう宴会をやっている気の早い客がいる。
理由はどうあれ、とりあえず呑めればそれでいいのだろう。
同感である。
詩人のシャミッソーは、1781年に、貴族の血を引いてフランスのシャンパーニュに生まれた。
幼い頃に、フランス革命を逃れてベルリンに移住し、プロシアの将校を経てドイツの詩人として活躍することになる。
詩人として、そして小説家として名を馳せたが、後年に植物学の研究に転向し、最後はベルリンの王立植物園長として生涯を全うした。
「女の愛と生涯」は、伝統的な夫婦愛を描いた詩であるというが、その封建的な考え方は、いかにも19世紀初頭の時代風潮であるといわれているらしい。
けれど、この詩を読んでみると、たしかにひと昔もふた昔も前の日本の風潮にあったものだという感じはあるにせよ、これが19世紀の初頭に書かれたことを思えば、決して古いという気はしない。
いささか封建的な感じはするけれど、それはまあ、時代を考えればそんなものだろうと…。
ひとことで言ってしまえば、ひとりの女が男に恋をして、幸せ一杯の心地で結婚し、やがて子供が生まれて幸福の絶頂にいたと思った矢先に、夫が世を去ってしまう、という話。
それだけならば、話としてはよくあるものだけど、この詩においての女の献身はすごい。
自身の全人生を相方に捧げた過剰に献身的な感情は、今でいえばマゾ的な匂いを感じるものではあるが、時代を超えて、こんなに夫を頼り切ることができる姿勢はすごすぎる。そういった世界を誰が描けるのかというところで、まさにここではシューマンが担当というところ、実にうなづけるのである。
彼以外に、このドラマは手に余ることだろう。
ちなみにクララは、この主人公とは全然違うタイプの女性だったらしい。
ポップの歌は美しく肉感的である上に、適度に夢想的であるところが、この歌の、内に向けたドラマ性を引き立てている。
パーソンズのピアノは脇役に徹しながらも、全体にとても透明な響きを聴かせてくれる。
1980年、バイエルンでの録音。
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