アシュケナージのピアノで、シューベルトのピアノ・ソナタ20番を聴く。
この曲はシューベルトが死の2ヶ月前に書かれた、最後のピアノ・ソナタのひとつ。
シューベルトの死から10年後にディアベッリによって出版され、彼の意志でシューマンに献呈された。
この曲を、何の知識も持たずに聴いたら、とても晩年の作品とは思えないに違いない。憂いのある2楽章のアンダンティーノを除いて、おおむね明るい色調で描かれている。
以前にシューベルトの評伝をつまみ読みした。そこには、印象的なことが書かれていた。おそらくシューベルトは自分の人生がたった31年で終わることは、死の直前まで知らなかったのではなかろうか、といったような文。
次の21番は、いかにも晩年の作品といった感じ。彼岸の音楽と言ってもいいくらいに、この浮世とはかけ離れたなんらかの雰囲気をもっているが(ことにリヒテルの演奏!)、このイ長調の20番は、それに比べれば随分ととっつきやすい、いかにも若者らしい輝きに満ちた音楽になっていると思う。
そういう音楽だから、アシュケナージには合うのじゃないかと予想したが、裏切らない。
この演奏は1995年に行われたものなので、アシュケナージは既に活動の中心を指揮に置いていたころである。
しかし、彼特有の、音の粒立ちのよさ、フォルテッシモでも決して濁らない彩り豊かな音色は、ここでも健在である。
2楽章は適度な憂愁を帯びており、暗くなりすぎないところがいい。健康的な演奏。
3楽章はとても快活。うまれたての金魚が勢いよく水を泳いでいるよう。こうした音楽をやらせたら、アシュケナージは実にうまい。
終楽章は好きな曲。シューベルトの瑞々しい「歌」が迸っているからだ。
クリーンやアンスネスやルプーは、陰のあるところを含み持たせたピアノで、どちらかと言えば彼らのような演奏が好みだ。しかし、アシュケナージのは陽光に照らされたような心地よい刺激がある。ともかく、すみずみまで音がおいしい。
これはこれで、聴きごたえのある演奏であることは疑えない。
1995年8月、メッゲン、ゲマインデ・ザールでの録音。
インド洋の朝日。
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