ピーター・ゼルキンのピアノ・リサイタルを聴く。
チャールズ・ウォリネン:ジョスカンの《アヴェ・クリステ》
スウェーリンク:カプリッチョ
ブル:ドレミファソラ/ジグ
ダウランド(バード編):涙のパヴァーヌ
バード:ラ・ヴォルタ
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第30番 ホ長調 Op.109
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第8番 イ短調 K310(300d)
レーガー: 《私の日記より》 Op.82より 第1巻第5番、第2番/第2巻第10番
バッハ:イタリア協奏曲 ヘ長調 BWV971
ウォリネンの曲は、ジョスカン・デ・プレのモテットを編曲したもの。この曲からバードまでは拍手なしで一気に弾かれた。それはゼルキンと聴衆との、暗黙の了解。
この中で知っていたのは「涙のパヴァーヌ」のみ。オリジナルのリュート演奏のディスクを持っているが、有名なわりにあまりいいと思わない。なのでこの6曲(ブルは2曲)の演奏の善し悪しはわからない。ただ、ウォリネンの荘重な響き、スウェーリンクの広がり、ブルの闊達さ、バードの華やかさはじっくりと胸に沁みた。これらの曲をゼルキンは楽譜を見ながら弾いた。
ベートーヴェンとモーツァルトは、かなり崩した演奏。随所にルバートを多用し、それに加えて強弱の変化も大きかった。これらの曲はインテンポでカッチリとした演奏が好みなので、全面的に賛成というわけではないものの、ゼルキンがこの2曲をあたかもロマン派の作品のように見立てていたのは面白い試みだと思う。それは、おおいに同感。モーツァルトとベートーヴェンが「古典派」だとするのは、年代を縦割にみた便宜的な括りにすぎないと思う。
それとは逆に、レーガーの3曲は端正であり、切れ味のあるリズム感を持つ演奏だった。むしろ、こちらのほうが古典派に近いのじゃないかというくらい。
ゼルキンの音の美しさは、ベートーヴェンとこの曲において最大限に発揮されていたように感じた。基本的に硬質の音。右手と左手の音がクッキリと分離されており、ひとつひとつの音がクリアー。それでいて、フォルテッシモにおいても音が割れない。
イタリア協奏曲は、いかにもこなれたもの。どこを叩いても揺るがない主体性の頑丈さがあった。ゼルキンが弾くこの曲は、オーマンディが演奏する「くるみ割り人形」くらい間違いがない。端正ななかに淡い詩情を湛えていた。
アンコールは「ゴルトベルク」のアリア。全曲を聴きたくなるほど素晴らしかった。
アンコールは2曲以上弾かれたようだが、おねだり拍手がイヤなのでこれで引きあげた。
2015年10月5日、東京、トッパン・ホールにて。
坂。
重版できました。
「ぶらあぼ」4月号に掲載されました!PR