杉浦由美子の「バブル女は『死ねばいい』」といういささか物騒なタイトルの本を読む。
これは、団塊ジュニア世代の著者がバブル女に対して恨みつらみを綴ったもの。「バブル女」とは、バブル期に一般職という「女の子枠」で採用され、正社員としての既得権を享受し続け、いまなお衰えをみせない「女子力」で男性に貢がせ、40歳すぎても「婚活」に励む世代の女を指す。
本書が書かれたのは2010年なので、当時バブル世代は40歳代半ばあたり。
「バブル男たちは会社のお荷物として虐げられているが、『一方(40代)女性は今も「何とかなる」という根拠のない自信に満ちている人が多い』と書かれる」。
そして、取材先でバブル世代の女性からこんな話を聞かされる。
「ほら、私たちって大学時代はディスコに行っても帰りのタクシー代まで男の人に出してもらっていた。それでなんにも考えずに大手企業に就職して、そのままここまで来ちゃったのよね」。
そして、筆者はバブル女への批判を繰り広げる。
が正直、半分はなにを言っているのかよくわからなかった。
年代的には、ワタシもバブル期に属する。男であるが。同世代の女性をみても、この本に書いてあるようなことを感じないが、それは鈍感だからなのか。あるいは、女性からみると鋭敏に感じられるのか。
謎であるが、いずれにせよ、あまり深入りしないほうがよさそうである。
バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルの演奏で、ブラームスのセレナード2番を聴く。
この曲は昔、アバドの演奏で聴いたはずなのだが、中身をまったく覚えていない。今回聴いてみたら、案の定なにもかもが初めて聴く曲のようだった。ブラームスの新たな魅力を発見したみたいな感じ。それはあたかも、ささやかだけど気の効いたおまけのよう。
ブラームスにこんな屈託のない曲があるとは知らなかった。小品ではいくらかあるけれど、20分を超える大曲では珍しいのじゃないかと思う。全編、前向きな生命力に満ち満ちている。ブラームスにも幸せな時期があったのだなぁ、と感慨に耽りそうだ。
それに対し、同時期に作られたピアノ協奏曲1番などは、若きブラームスのいきり立った暗い情熱が渦巻いているではないか。
この曲の編成もまたあまり見かけないもの。弦楽器と木管、ホルンから成るが、ヴァイオリンを入れていないのである。重心を低めに取りたかったのか定かではないが、うかつにも聴いただけではわからなかった。木管楽器群がとても軽やかだし、曲想も明るいので、ヴァイオリンがないことに気付かなかった。
5楽章からなり、短調なのは3楽章のみ。それだって、ひどく暗いわけじゃない。梅雨空のような按配。長調の曲は、穏やかで楽しい雰囲気が充満している。
全曲を通して、ニューヨーク・フィルの名技を堪能できる。弦楽器は歯切れよく、クラリネット、オーボエ、ファゴットは凛としている。
1966年2月、ニューヨーク、フィルハーモニック・ホールでの録音。
本屋。
重版できました。
「ぶらあぼ」4月号に掲載されました!PR