ケーゲル指揮ライプツィヒ放送管弦楽団・他の演奏で、ベルクの「ヴォツェック」を聴く(1973年4月9日、ライプツィヒ、コングレスハレでのライヴ録音)。
「ヴォツェック」は、アバドの公演を観て以来、聴いていないかもしれない。20年以上ぶり? というのは、あの演奏は素晴らしいものだったので、その印象を壊したくないという思いと、いい曲であるわりには比較的ディスクが少ない、との2つの理由からだと思う。
でもこのたび、ユニオンで入手したので聴いてみた次第。
貧しい兵士のヴォツェックは、内縁の妻マリーとその子供を養うために、人体実験の献体になる。彼にだんだんと幻覚症状が現れる。マリーは鼓手長を浮気をし、ヴォツェックはそれを疑い、マリーを刺し殺す。彼は、服に付いた血を洗い流すために池に入り、溺れ死ぬ。
陰惨であり、ときおりエロティックな味付けを施したシナリオ。音楽も決して明るいものではない。ただ、ひじょうに多くの場面において(私の素人耳によれば)調性、あるいは、人間の感性に自然な音の配分がなされていると感じられる。よって、同じ新ウイーン学派と云われるシェーンベルクの後期の作品に比べると、いたって普通に聴くことができる。
ケーゲルの指揮はいつも通り淡々としていて、それぞれのパートを明確に浮き立たせている。なので、立体感がある。副声部が明瞭に聴こえて気持ちがいいし、音楽に対する大きな愛情を感じないわけにいかない。暗いなかに、ときおり、チェレスタ、ハープ、ピッコロが色彩感を際立てているところがステキだ。
アダムは人間の尊厳を堂々と歌い切り雄渾、ゴルドベルクは美しい狂気を孕み、シュレーターは妖艶。歌手たちも万全。
こうなったら、ベーム盤やドホナーニ盤も聴いてみたいもの。
テオ・アダム(バリトン)
ライナー・ゴルトベルク(テノール)
ギゼラ・シュレーター(メゾ・ソプラノ)
ヘルムート・クロッツ(テノール)
ホルスト・ヒースターマン(テノール)
コンラート・ルップ(バス)
ロルフ・ヴォルラート(バス)
エッケハルト・ヴラシハ(バリトン)
ギゼラ・ポール(アルト)
ノルベルト・クレッセ(ボーイ・ソプラノ)、他
ライプツィヒ放送合唱団
屋根の上のパーティ。
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