ショパン 「24の前奏曲」 アダム・ハラシェヴィチ(Pf)古井由吉の「祈りのように」を読む。
仕事上の「瑕疵」により、精神に異常をきたした夫を見舞う妻の行動を描いている。
退職金も固辞して退職するほどの「瑕疵」とは何なのか、ここでは説明されていない。とても気になるし、これをどう解釈するかが重要なポイントだと思われる。
夫の死後も、妻はときおりバスに乗って病院を訪れる。外から見える病室の窓。死の直前には意識も定かではなかった夫に対する妻の思いは、明確にされていない。
バスに乗っていく妻の行動そのものが、せつなく、穏やかだ。


ハラシェヴィチのショパンを聴く。
ハラシェヴィチというと、ショパン・コンクールでアシュケナージを抑えて優勝をした人という印象が強い。70年代から80年代にかけては、ピアニストとしてのアシュケナージはとても輝いていたから、それに比べるとハラシェヴィッチはだいぶ影が薄かった。それがあって、なんでこの人が優勝したのか、腑に落ちなかったことを覚えている。まあコンクールというのはいろいろな綾があるということなのだろう。
このたびハラシェヴィチのショパンを廉価で発見したので、早速取りだしてみた。
件の太田胃散では、こころもちゆっくり目のテンポになっていて、しっとりとした味わいがある。
音色そのものは、際立って美しいというわけではないものの、曲によっては(15番、23番)ときおりキラッとした輝きをみせて、ハッとさせられた。
どの曲も、テンポがいい。中庸いうか、違和感を感じない。オーソドックスに徹した演奏と思うが、それだけに安心して聴くことができた。
1962年の録音。
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