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クレーメルとドホナーニのグラス「ヴァイオリン協奏曲」

2009.11.03 - グラス
gl

グラス ヴァイオリン協奏曲 クレーメル(Vn) ドホナーニ指揮ウイーン・フィル


先週に読んだ本。
土屋賢ニの「人間は考えても無駄である」。本業の哲学研究よりも爆笑エッセイで有名な土屋教授のこれは対談集。科学者、文学者、音楽家、心理学者が相手ということになっているが、ここで登場する音楽家は、土屋が趣味でやっているジャズバンドのメンバーであり、フツーの勤め人である。だから音楽の専門の話になるわけではなく、ひたすらバカ話に花を咲かせているところが面白い。他のお茶の水女子大の同僚たちとの対談でも専門的な話を深めるよりも、むしろ笑いをとろうとする姿勢がよい。

大前研一の「私はこうして発想する」。韓国の今後の発展のための提案や、三菱自動車の再起をどうすべきかなど、よくいろいろなアイデアが次から次へと湧いて出てくるものだ。コンサルはコンサルでも、頭にスーパーがつくとひと味違う。
ただ、この本については(も?)自分の主宰するインターネットセミナーの宣伝の色が強い。特に後半になるとそれが露骨になっていき、自慢話と宣伝のオンパレードで閉口する。書き手の立場なら本だけで完結してほしいものだ。


グラスのヴァイオリン協奏曲は、3楽章形式による伝統的なもの。オーケストラで登場する楽器も特に変わったものは用いられておらず、編成はいたって保守的である。
彼はミニマル・ミュージックと言われるスタイルをとるが、この曲もそれに則っている。短いテーマが何度も何度も繰り返しながら、その上でゆるやかな変化が発生する。音量もテンポも急激ではない。変奏曲ほどの変化はないしラヴェルの「ボレロ」なんかとも一線を画する。動きはゆっくりでたんたんと進行する。
それはまるで、亀のジンセイのようだ。あくまでマイペース。
とはいえ、亀にもいろいろと事情があるのかもしれない。傍目からみるとわからないような事件が勃発していたりして。
それにしてもこの音楽は、同じリズムが長く繰り返されることによって体に直接うったえかけてくるものがあって、だんだんと麻痺してくるような感覚がある。けれど一時期のストラヴィンスキーみたいな「原始的」ということでもない。リズムの上に、息が長すぎてわかりづらいけれど濃厚なメロディーがたしかに動いている。ときには甘くて気だるいムードを醸し出したり、ときには血が騒ぐような興奮を生む。
クレーメルの切れ味鋭さと、ウイーン・フィルの暖かくて厚い響きのコントラストが面白い。

1992年2月、ウイーン、楽友協会大ホールでの録音。
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