インバル指揮、東京都交響楽団の演奏会に行きました(2017年7月16日、池袋、東京芸術劇場大ホールにて)。
マーラー:交響詩「葬礼」
マーラー:大地の歌
コントラルト アンナ・ラーション
テノール ダニエル・キルヒ
「だがこの大地はいずこも春ともなれば花を咲かせ新たな緑に覆われる! 限りなくそして永遠に蒼く遥かな彼方はかがやく!
永遠に・・・永遠に・・.」
交響詩「葬礼」は、「復活」交響曲の下書きとして、1888年に書かれました。現在一般的に聴かれている「復活」の1楽章の構成と、ほぼ同様。細部の変化やオーケストレーションに違いはあるし、わずかに不自然なくだりはあるものの、まさしくこれは復活でありました。
以前に、シカゴ交響楽団でベリオのシンフォニアを聴いたときのマーラー感を思い出しました。
ひとつのコンサートで、大地の歌に加えて復活も楽しめるなんて、贅沢です。
大地の歌は圧巻でした。
ヴァイオリンとオーボエ、ハープを中心とした、精緻極まりないオーケストラは文句のつけようのないものだったし、キルヒの輝かしいテノールも非常に魅力がありました。
しかし、この演奏は畢竟、アンナ・ラーションのものでした。
彼女は上背があって、それに比例するようにたっぷりとした声量があります。だから、オーケストラに負けていない。細かな表情づけが、どんな場面においても手にとるようにわかるのです。
その表情は、ときには天空を舞うように軽やかだったり、ときには聴く者の臓腑を抉るように残酷だったり。恐ろしくふり幅が広いのです。
強く、心を揺さぶられました。
この音楽はある種、人生の諦念を描いたものですが、彼女の歌には諦めだけではなく、希望であろう光がはっきりと感じられる瞬間がありました。
それは、マーラーの意思であることはもちろんとして、彼女の、あるいはインバルのものでもあったわけです。でもこの曲を聴いて、そういったことをこんなに明瞭に感じたことは、今までありませんでした。
それは聴き手である私への大きなエールでありました。
今日も音楽を聴いて落涙。。
パースのビッグムーン。
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