池田清彦の「ゼフィルスの卵」を読む。
これは生物学者によるエッセイで、内容は生命科学の話から政治の話まで多岐にわたる。
そのなかで、今話題の事件に関することが載っている。
今から20年近く前に、科学者と科学論者との諍いがあった。
ソーカルという物理学者が、科学批判論者の代表紙である「ソーシャル・テクスト」という雑誌にデタラメな論文を載せたところ、これが採用された。
そしてソーカルは、デタラメを見抜けなかった科学論者を大いにバカにしたそうだ。
科学雑誌に載せられる論文に対しては、通常「ピアレヴュー」と呼ばれる複数の有識者たちによる検査が行われる。
定説を覆すような発見に対しては、さらに「追試」を行うべきであるが、論文の数が多すぎて手が回らないため、ピアレヴューで済ます、ということらしい。
それに対して、著者はこのように懸念する。
「(ピアレヴューが)機能しないとなると、科学は産出される論文の真偽を判断する能力をもたないということになり、事態はいささか深刻であろう」。
STAP細胞の論文は取り下げられたわけだが、理研の中できちんとしたピアヴューがされていたのか。彼らの会見を聞く限り、どうも他人事のように振る舞っている気がしてならなかった。それが気に入らない。
ちなみにこの本は、2007年6月に出版されている。
ハイティンクの指揮で、ラヴェルの「マ・メール・ロワ」全曲を聴く。
ボストン交響楽団は、ミュンシュの時代から所謂「フランス的」なオーケストラとして一部で知られている。後任の小澤も、就任直後はよくフランス物を振っていたからだろう。
ただ、こうしてハイティンクの指揮によってラヴェルを聴くと、どこがフランス的なのか「?」なのである。演奏そのものが悪いわけではない。むしろ、かなりいい。
フランスの音といえばパリ音楽院管弦楽団、と言われると納得する。あの鄙びたホルンやオーボエの音を聴くと、ああフランスだ、などと溜飲を下げたりしている。偏見かもしれない。
ボストン交響楽団はアメリカのオーケストラの中で、どのような特色があるのか。
2回の実演といくつかのディスクを聴いたこれは印象。
弦楽器はクリーヴランドよりも柔らかく、木管はニューヨークよりも渋く、金管も色彩感に溢れるというよりは、むしろくすんだ響きを醸し出す。どの奏者もかなり上手いが、それがおおっぴらに表に出ない。派手ではないが安定した実力があるオーケストラというイメージ。
このハイティンクによるラヴェルは、作曲者以外は国籍不明ということになるわけだが、考えてみると、現代のオーケストラ演奏というものは、概ねどこも似たり寄ったりなのであった。
1995年11月、ボストン、シンフォニー・ホールでの録音。
ブッシュファイアー。
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