ひろさちやの「『ずぼら』人生論」を読む。
相変わらず切れ味がいい。「『アホの物差し』で居心地よく生きる」の章では、こんなことが書かれている。
子供がテストで70点を取ったというのを喜んで、子供の好きなカレーライスを作ろうとした母親が、ところで平均点は何点なの?と訊く。すると84点だという。これを聞いた母親は調理中の手をぴたりと止めてしまう。
これは、母親が世間の物差しに縛られているからだと言う。子供が一所懸命やってきた点数は、何点であろうと宝ものなのである。むしろ、こう言ってやるべきだ。
「まあ、0点だったの。そうか、クラスのみんなを楽しませてあげたんだ。すごいね、みんなを楽しませるなんて、仏様みたいね」。
ただ、著者はいつものように、0点を取り続ける子供の救済策を具体的には述べない。そのことは読み手が、のたうちまわりながら考えなければならないのだ。
ひろさちやの本は、口当たりは甘いが、猛毒である。
シャイーの指揮で、マーラーの交響曲8番を聴く。
これはスケールの大きな演奏だ。冒頭から圧倒させられる。ゆったりとしたテンポから繰り出される、ティンパニの連打の重厚なことといったら!
その後も音楽は自然な抑揚をつけながら流れる。オケはとてもバランスがよい。彫りの深い弦楽器群を中心に、肌理の細かな木管群、弱音が見事にコントロールされた金管群、厚く響く打楽器群、底をしっかり支えるオルガンと、申し分がない。コンセルトヘボウだから、当たり前かもしれないが。
2楽章に入ると、オケに加え声楽陣もぐいぐいとエンジンを回転させてくる。
マッテイの法悦の神父はとてもなめらか。声そのものはスマートでありながら、ふくらみがあって鷹揚さを感じさせる。
ヘップナーの博士は名唱。率直な声には張りがあり、芯の太さも感じられる。とくに美しい声というわけではないのだが、感情のこめ方が真摯であり、引き込まれないではいられない。ここは2楽章のなかのひとつの大きな聴かせ場であるが、見事な歌唱で応えている。文句なしに素晴らしい。
女声陣も奮闘。ことに罪深い女はいくつか難しそうな箇所があるので、全てをキッチリとクリアすることは難しいと思うが、なんというか、根性で聴かせる。
合唱団は大らかでまろやか。木管楽器と溶けあう場面など、ホールの音響の良さと相俟って、快感である。
これは、シャイーの実直さがよい方向に向いた演奏であると思う。とても丁寧で流れがいい。録音も素晴らしい。
ジェーン・イーグレン(ソプラノ1:)
アンネ・シュヴァネヴィルムス(ソプラノ2:贖罪の女)
ルート・ツィーザク(ソプラノ3:栄光の聖母)
サラ・フルゴーニ(アルト1:サマリアの女)
アンナ・ラーション(アルト2:エジプトのマリア)
ベン・ヘップナー(テノール:マリアをたたえる博士)
ペーター・マッテイ(バリトン:法悦の神父)
ヤン=ヘンドリク・ローテリング(バス:瞑想の神父)
プラハ交響合唱団
オランダ放送合唱団
聖バーヴォ教会少年合唱団
ブレダ少年聖歌隊
リッカルド・シャイー指揮
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
2000年1月、アムステルダム、コンセルトヘボウでの録音。
しろが死んだ。
享年3ヶ月。
生まれてきてくれて、ありがとう。
家にきてくれて、ありがとう。
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