グールド/ベートーヴェン「ハンマークラヴィーア」グールドの芸風をひとことで言ってしまえば、楽譜の自由な解釈を、臨機応変にかつ天衣無縫に実行した音楽家、ということになろうか。
とはいえ、その演奏はあまりにも多様なので、なんとでも言えるというのが本当のところで、酔っ払いの私がどうこう言っても始まらないのであった。ただ、聴けばわかる。グールドの演奏は、バッハのみならずベートーヴェンもそれに劣ることなく優れていることを、このCDは証明してくれる。
彼が「皇帝」を録音する際に、ストコフスキーに「速い方にするか、遅い方にするか」という議論をもちかけて意気投合したというエピソードは、楽譜の解釈にひとつだけの回答はなく、それはテンポのおおきな違いをも許容する、ということを、現場サイドから実証しようとした行いに思える。
テンポは非常に重要である。というか、音楽を構成する様々な要素のなかでも特に重要な要素であるが、音楽家がいろいろなパターンで表現しえることは理解できるし、ヒトの生理にも従った解釈だと思う。
彼らがもし通常よりもだいぶ早いテンポで「皇帝」を演奏したとしても、それはそれで「あり」なのであり、彼らの個性をつぶすものではありえないのである。速くてもグールド、遅くてもストコ…。
グールドは多くの曲に対して、テンポの必然性を持たないようだ。
この「ハンマークラヴィーア」では、かなり遅めのテンポを設定し、ベートーヴェンの書いた楽譜のすみずみにまで光を当てている演奏だといえる。遅いわけだから、当然、推進力は弱くなる反面、スケール感は大きくなる。
全曲で51分を要するわけだから、彼にしては「普通に遅く」やっているのであろうが、この曲の演奏史上においては最も長い演奏時間に属するものに違いない。
グールドは、この演奏において、「ハンマークラヴィーア」の目覚しく効果的な技巧やフーガの妙味に焦点を絞るのではなく、この曲の白眉のひとつである第3楽章のアダージョにかけている。
この3楽章における静謐で緊張感のあるピアノの響きは、ゼルキンやグルダのものに匹敵しうるものであり、この演奏において彼は間違いなくベートーヴェン弾きであって、ベートーヴェンの核心に触れた演奏のひとつであると思う。関連記事 : bitokuさんの グレン・グールド 「ハンマークラヴィーア」 レビュー★音楽blogランキング!★にほんブログ村 クラシックブログ無料メルマガ『究極の娯楽 -古典音楽の毒と薬-』 読者登録フォーム
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このCDは、bitokuさんの記事を読んで思い出して聴きなおしました。グールドは一見奇をてらったような演奏が多いと思われがちですが、このようなピアノを聴かせてくれるところ、やはり音楽への取り組みかたが真摯なのでしょう。普通なら、このテンポ設定ではもたれてしまうのですが、緊張感が張り詰めています。