ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第12,14番 スメタナ四重奏団中川右介の「カラヤンとフルトヴェングラー」を読む。これは、フルトヴェングラーとカラヤン、そしてチェリビダッケの三人がベルリン・フィルをめぐっての駆け引きを描いたドキュメント。おもに第二次世界大戦中のドイツが舞台になる。
フルトヴェングラーの後任にはチェリビダッケが有力視されていたという話は有名だが、実際に数字を示されると納得する。カラヤンが戦後に初めてベルリン・フィルの舞台に立ったのは1953年の9月で、それまでは6回の演奏会を開いたにすぎなかった。一方、チェリビダッケはその頃までに実に403回振っている。相当に差が開いている。それなのに逆転でカラヤンが首席についたのは、戦後になってチェリビダッケとフルトヴェングラーの仲が悪くなったことや、チェリビダッケのトレーニングが厳しすぎて団員に嫌われていたということが要因であるけれど、もっとも有力なのは、アメリカのエージェント会社(コロンビア・アーティスツ・マネージメント)が強く押したからじゃないか、といった書き方になっている。なぜ、この会社がカラヤンを推薦したかは明記されていない。
それにしても、この本ではフルトヴェングラーがたいへん割を食っている。猜疑心が強くて心が狭く、嫉妬深い陰謀家であり、出る杭をひたすら叩くいやな老人に描かれている。しかしそもそも、本書は関係者に取材したわけではなく、出ている本を寄せ集めたものであるからして、基本的に人の性格はわからないはず。著者はフルトヴェングラーが嫌いなのだろうか。もしくは可愛さ余ってというやつか。いずれにしても、ちょっとフルトヴェングラーが気の毒である。
などと、いろいろ書きつつ、今日聴くのはカラヤンでもフルトヴェングラーでもなくて、スメタナ四重奏団。
さっきテレビでメータの第九を視聴して満腹なので、室内楽のほうがよいかと思う次第。
メータの第九は2楽章から観たのだけど、なかなかの気合いを感じた。途中で涙が出そうな場面がいくつかあった。ことに、女声合唱がよかったように思う。声に透明感があったし、キレイな人が何人かいた。オーケストラは対抗配置だったが、メータは最近そうしているのかな。
戻って、スメタナ四重奏団のベートーヴェン。室内楽とはいえ後期ものはヘビーであり、なかでも14番は格別かもしれない。苦み走ったオトナの味。音の量からすると第九よりもずっと軽やかだ。なにしろ210人対4人、2桁違う。だから軽い。でも重い。どっちなのかよくわからないが、そこがこの曲の面白さなのである。
スメタナ四重奏団の演奏は、音が伸びやか。艶があり、響きが豊満。アンサンブルは緊密でありながらガチガチではなく、ほどよく空気を包んでいるような柔軟さもあって、広がりを感じる。深刻ぶっておらず、いつも通りの自然体といった感じ。これが高度なのだ。
イルジー・ノヴァーク(vn)
ルポミール・コステツキー(vn)
ミラン・シュカンパ(va)
アントニン・コホウト(vc)
1970年6月、プラハ、ドモヴィナ・スタジオでの録音。
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