ヘンデル「メサイア」 ビーチャム指揮ロイヤル・フィル、他筒井康隆の「ロートレック荘事件」を読む。
これは、筒井の三大ミステリー(勝手に呼んでいる)のひとつ。
本作を読むのは二度目なので、最初の時のオドロキはなかった反面、どういったプロセスでトリックを作っていったのかの足跡がわかる。
単行本の発売当初のふれこみに「映像化不能」とあったがその通りで、言葉ならではのトリックが隠されている。
ビーチャムのメサイアは、グーセンス版によるもの。グーセンスは、ポルノ写真の大量持ち込みが空港で発覚したスキャンダルで音楽界を去ることとなったイギリスの指揮者であるが、この編曲はスキャンダルの後にホサれていた時代の作品である。
さぞ無念だっただろう。その鬱憤を晴らすかのような、これは爆裂音楽になっている。
この編曲版、いつか自分の耳で確かめたかったが、ようやく実現した。
序曲はとても荘厳にゆっくりと始まる。ところどころにハーブやトランペットの響きが顔を出すところで、この演奏がフツーではないことを、しみじみ実感し始める。
2曲目のテノールによるレチタティーボもいけている。おいおい血管が切れちゃうよというくらいのスポ根的情熱が、これでもかというくらいに迸る。編曲のスタイルが、歌手にも浸透していると感じられるのだ。
合唱団は4曲目の『こうして主の栄光が現われ』に登場。こちらも気合が入っている。オケの咆哮に負けない朗々とした歌い振りで、まるでヴェルディを思わせる。血気盛んな、うっかり触ったら、火傷をしそうな熱い歌だ。
要所に、いや要所でなくとも、スパイスがとてもよくきいている。ここぞというもりあがりの場面では、トランペット、ホルン、ティンパニ、シンバル、トライアングルが、ビシッと締める。
不思議と違和感を感じないのは、冒頭から一貫してスタイルを貫いた信念に違いない。
この演奏におけるハープの役割は、チェンバロの代替である。この効果はなかなか大きく、独特の派手派手しさを醸し出している。
『ハレルヤ』における、派手ならんちき騒ぎは、空虚で馬鹿馬鹿しくもあるが、今となっては逆にクラシカルな雰囲気が横溢していて楽しい。
楽器編成の変わり種ぶりばかり耳につくが、ロイヤルフィルの弦のよさを随所で味わうことができる。『田園交響曲』や、20曲目の『主は牧者のようにその群れを養い』だ。たわわに実った果実をおもわせる、水水しい溢れんばかりの響きがたまらない。この演奏の多くの美点のひとつ。
コントラルトはモニカ・シンクレア。深々とした呼吸でもって、たっぷりと肉感的な歌を聴かせる。
それは、2部の2曲目『彼は侮られて人に捨てられ』にハッキリあらわれる。
ジョン・ヴィッカースはあたかも『オテロ』のようだが、この演奏の様式には合っている。空気を読んだ采配といえる。
ジョルジオ・トッツィのバスは恰幅がよいうえに、音程がバッチリ決まっている。メサイアのバスは難しいパートなのだが、すんなり歌いきっている。今まで聴いた同曲のなかでも、トップクラスといっていいように思う。
ジェニファー・ヴィバンのソプラノはしっとりとして落ち着いたもの。現代の古楽器スタイルにも合うようだ。
このグーセンス版、編曲の奇異さをよく指摘されるが、ビーチャムのほんわか緩い指揮ぶりと、歌手たちの血色のいい歌いぶりと、そして合唱の豊満さとがとてもマッチしており、方向性にブレがない。それが偉いところだ。
ちなみに、このCDの3枚目には、当初にカットされていたと思われる曲がまとめて収録されている。
ジェニファー・ヴィヴァン(S)
モニカ・シンクレア(A)
ジョン・ヴィッカース(T)
ジョルジオ・トッツィ(B)
トーマス・ビーチャム指揮
ロイヤル・フィル、合唱団
1959年の録音。
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