ヘンデル「メサイア」 コッホ指揮ベルリン放送交響楽団、他鶏の丸焼き。
1.鶏肉に塩、胡椒をすりつける。
2.玉ねぎ、人参、ジャガイモを軽く茹でて、鶏肉に詰める。
3.鶏肉にオリーブオイルを塗って、オーブンで50分焼く。
写真がボケていて恐縮。
味はなかなかでした。
コッホの「メサイア」はドイツ語によるもの。
英語を聴きなれた耳には、やや違和感がある。もっとも、聴きなれていると言ったって、ヒアリングができるわけではない。英語だろうとドイツ語だろうと言葉の意味がわからないのは同じだ。
違和感があるというのは、言葉の響きのことである。
始まってすぐにテノールで歌われる「もろもろの谷は高くせられ」では、英語版だと「エーブリーバーリー」とくるところだが、ドイツ語だと「アーレーターレー」となる。けっこう違う。というか、全然違う。
この違和感は、前にも経験したことがある。それはプレヴィンの指揮する「真夏の夜の夢」を聴いたときのことだ。
1回目の録音は70年代にロンドン饗と入れたもので、歌詞は英語である。これを80年代にウイーン・フィルと再録音したものはドイツ語によるものだった。ロンドンのものを長らく親しんで聴いていたので、ウイーン盤を聴いたときは、軽い違和感があったのだった。演奏の優劣とは別の次元のことなのだけど、微妙に雰囲気が違うのである。
やはり、というか、ドイツ語はゴツい。英語の響きがサラサラ流れる清流だとしたら、ドイツ語はいかめしい岩山である。もっとも、シューベルトとかワーグナーはドイツ語が標準だから、彼らの歌曲を聴いてこういうふうに思うことはないのである。
ドイツ語の「メサイア」、あるいは「真夏の夜の夢」を聴いて、そう思うのである。
コッホの指揮は、柔軟なもので、曲によってテンポの速度を大きく変化させている。それはあくまで、他の演奏に比べたら、ということだけど。
例えば、「シンフォニー」は遅い。サージェントなみの遅さである。こんなに遅くて、そのあとどうなっちゃうんだろうといった心配は無用で、サージェントと同様、じょじょに中くらいのテンポになってゆく。ただ、1部に関しては比較的ゆっくり目のテンポをとっているようで、2部からは聴きなれた速さになる。
ひとつの曲のなかでバタバタとテンポを変えることはないが、曲によってのテンポの幅は大きくとられている。
こういったテンポの変化をつけつつも、全体の色は渋い。渋くて、実直だ。熟練した職人が、すべての工程に時間と手間隙を惜しげもなく注いだ工芸品のよう。
歌手では、シュライアーがいい。70年代前半の彼らしい、張りのあるストレートな声が魅力的。喜びとか苦悩が、声からだけで伝わってくるよう。
アダムはこの曲にしては明るい声なので、そのぶん重厚さに欠けると思ったが、じつは全然そうではなく、むしろ贅肉をそぎ落としたすがすがしい歌いまわしが、曲そのものを引き立てている。数ある「メサイア」のバス演奏のなかでもトップクラスだろう。
ヴェルナーのソプラノは可憐。声の軽やかさが、カークビーやバトルに似ている。ただ、ドイツ語なので、いささかいかめしく聴こえる。
リースのアルトはほんのりと色香のある歌。しっとりとした声が美しい。強い個性が際立っていないかわりに、コッホの織りなす音楽の流れに溶け込んでいるという感じ。
合唱は重厚。オケともども、華やかさはないものの腰を落ち着けた安定感がある。
レギーナ・ヴェルナー(ソプラノ)
ハイディ・リース(アルト)
ペーター・シュライアー(テノール)
テオ・アダム(バス)
ベルリン放送独唱者連合
ベルリン放送合唱団
ベルリン放送交響楽団
ヘルムート・コッホ(指揮)
1973年5月~6月、ベルリンでの録音。
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