小林秀雄の対話集「直感を磨くもの」から、福田恒有との対話「芝居問答」を読む。
あまり芝居を観ないのでこの対話を面白く読めたかというと正直言ってあまり面白くなかったのだが、ところどころ腑に落ちるというか気になる発言があるので、やはりこの対話集は見逃せない。
福田の以下の話は、太平洋戦争でひとつの文化が分断されたことを示唆する発言ではないかと読める。
「例えば、現代の名優がモリエール劇やラシーヌ劇をやりますね。そうすると、モリエールやラシーヌは、現代の俳優を目当てに書いたものじゃ勿論ないでしょう。その当時の俳優を目当てに書いたんだけど、当時の俳優というものは、その時の生活とか文化を背負っているわけですね。その文化は今日にいたるまで連続していて、今日の俳優でもラシーヌやモリエールをやってのけられるんです。そういうことが、今の日本にはないでしょう」。
もっとも、実際はどうであったかは知らないが。
パーヴォ・ヤルヴィ指揮フランクフルト放送交響楽団の演奏でブルックナーの交響曲7番を聴く。
これは、スマートというか洗練されているというか都会的というか、まあなんとも流麗なブルックナーだ。カドをヤスリでもって丁寧にこすりあげて、なんのひっかかりもないツルツルの質感がある。合奏は透明感があり、普段は聴こえない木管楽器の音が聴こえたりする。ティンパニはここぞというところで注意深く慎重に打ちこまれ、品がいい。
テンポはやや遅め。じっくりと弾き上げている。流麗さにおいては、ジュリーニやカラヤンをも上回る演奏である。これほど高度に磨き抜かれたブルックナーを他に知らない。クナッパーツブッシュやシューリヒトはもちろん、レーグナー、あるいはこのオケによるブルックナー演奏の礎を築いたインバルよりもラディカルに神経質と言える。近いのはチェリビダッケ/ミュンヘンかも知れない。
この演奏を「人工的」の一言で済ませてしまうのはたやすい。が、重箱の隅の隅まで目を行き届かせ手入れを行った、大変な演奏であることは疑えない。フランクフルトのオケの技量も高い。
ヤルヴィがこのスタイルでブルックナーを今後やり続けるとしたら、それはそれで興味深い。
2006年11月、フランクフルト、アルテ・オーパーでのライヴ録音。
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